飽くなき探求心で「飛び切り旨いもの」を集めるフードスカウト
Vol.76 カラブリア州ロンゴバルディ村の食品セレクトショップ兼オステリア
2024.12.26
text by Paolo Massobrio / translation by Motoko Iwasaki
「偉大」なワインを口にすると、思考がぱっと開いて、時にはひらめきが、そして思い出が蘇ることがある。ヴァルター・マッサの「ティモラッソ コスタ・デル・ヴェント2013年」を飲んだ。そのボトルがセラーで眠っている間に流れた時間にも新鮮さを失うことなく、酸味による複雑な味わいにスピリチュアルともいうべき体験をした。フランチェスコ・サリチェーティ(Francesco Saliceti)の顔が浮かんだ。
彼は僕の英雄だ。理想に満ち、ロマンチストで、頑固で、何かを生み出す創造力には絶対的に欠かせない無茶苦茶な精神を持ち合わせた英雄の一人。
目次
彼はカラブリア州ロンゴバルディ村にある「バール・デッロ・スポーツ(Bar dello Sport)」で10歳から働き始め、26年間を過ごした。そこはタバッケリア(タバコおよび新聞雑誌販売店)でもあった。サリチェーティは僕の立ち上げた食通クラブ「クラブ・ディ・パピヨン」の初期の頃からの会員で、僕が書いた記事を店の雑誌から探し読む熱烈なファンだった。
僕が消えゆく伝統を守るため「人類の抵抗の日(Giornate di Resistenza Umana)」と銘打ち、土着品種の白ブドウ「ティモラッソ」の復活に取り組むモンレアーレのワイン生産者、冒頭のヴァルター・マッサを励ますイベントを企画した時、サリチェーティは自らも参加を決めた。
1994年のことだった。彼は愛車に飛び乗りカラブリアを出発、一路ピエモンテを目指して北上したが、愛車はミラノの南方ピアチェンツァに差し掛かったとき事故に遭った。ところがサリチェーティはそれで断念するようなヤツではなかった。
イベントの翌日、彼はヴァルター・マッサのもとにたどり着いた。僕たちの誰一人、もうそこにはいなかったが、とにかくそこまで来たのだ。
カラブリアで生産された旨いものを語らせれば、右に出る者なし
1969年11月10日、ロンゴバルディ生まれ。彼は自らを「自家製男」だという。村でマリアという助産婦の手を借りて自宅で生まれた最後の子供だからだそうだ。昔はみんなそうだった。兄が一人、姉妹二人、父サルヴァトーレ(Salvatore)は建設会社の機械作業員で、母リーナ(Lina)は畑仕事と家事仕事に明け暮れていた。
母は1935年孤児として生まれたが、3歳にして独りで読み書きを覚えるほど頭が良かった。「そのまま勉学に励むことができたら、きっともっと利発な女性になっていたに違いない」とサリチェーティは胸を張って言う。
彼自身は高校を卒業した後、一生涯が学びの大学であると言い切って、仕事に励みつつ勉強を怠らない。バールの小僧だった彼はソムリエの資格を取り、オリーブオイルテイスターに、そしてレストランを営むまでになったのだが、僕からみれば、彼は何と言っても「きれいで旨いもの」への情熱から、利益は度外視で優れた食材の後押しをしてしまう、真の意味での「フードスカウト」だと思う。
カラブリアで生産された旨いものを語らせれば、その熱意もいつの間にか周囲に感染してしまう。彼は旨いもののことなら滔々と話すが、自分のこととなると功績なんかも全く口にしない。自慢話をするとすれば、それは彼の妻ジョヴァンナのことくらいだ。
ジョヴァンナ・マルティレ(Giovanna Martire)とは2005年に前述の「人類の抵抗の日」がきっかけで知り合った。サリチェーティは、その時既に「クラブ・ディ・パピヨン」のカラブリア州代表だった。
ジョヴァンナは大学で文学を学び、カラブリア大学内で出される著作物の下書きの校正などを仕事としていた。ところが2009年、サリチェーティがそれまで勤めていたバール・デッロ・スポーツを引き継ごうと決意すると、ジョヴァンナは自分も手伝うと言い出した。2010年には他の仕事を全てかなぐり捨てて厨房で働きだした。そこで彼女はすばらしい頭角を現し、言葉を用いる仕事以上に味で自分を表現することを始めた。
もしジョヴァンナがいなかったら、バール・デッロ・スポーツの内部に食品セレクトショップ兼オステリアとしてイタリアの食の楽しみを所狭しと湛えた食文化の宝庫、驚愕のオアシス「デグステリア・マニャートゥム(Degusteria Magnatum)」なんてものを立ち上げることは、彼でも考えなかったろう。
想像してみてくれたまえ。ロンゴバルディ村の人口は2000人だがその大半は、ティレニア海を望む海岸沿いに居を構えていて、カラブリアの山々を望む村の中心部に住んでいるのは、たったの50名ほど。ともすると寂しいくらいのその地区に、エレガントにして素朴な隠れ家のような空間が道路に面したガラス窓越しに見える。
たった16席の店内に入れてもらえたら儲けものと、客の誰もがこの店に来るためにロンゴバルディ村までわざわざ足を運ぶのだ。二人の「シンプルでも、飛び切り旨いスペシャリテ」でもてなしてもらうために。カラブリアという世界の片隅で正真正銘生産されたものを食べ、飲み、そして何と言っても他では味わうことのできないものを体感するために。他の追随を許さないシンプルさでまとめたコースは、サリチェーティが飽くなき探求心で集めてきた食材で構成され、「幻の」と形容される逸品をさらりと出してくれることがあるし、カラブリア産以外の優れた食品も登場することがある。ワインリストも400品目を超え、シャンパーニュにしても心惹かれるセレクションだ。
ジョヴァンナの料理については、それが恋しくなって僕の夢にまで出てくるものがある。
「フリッタータ・ドゥ・スクール(Frittata du Scuru)」と土地の人が言うジャガイモのトルタ(タルト)だ。幾層ものジャガイモのミルフィーユにオレガノ、バジリコそしてペペロンチーノをほんのひとつまみ(サリチェーティの言葉で言うなら「ひと震え」加えたもの。それと、ロンゴバルディ産紫ナス「レディ・ヴィオレッタ」(以前、この連載で取り上げているね ※文末にリンクあり)を用いた料理の数々だ。
地元の優れた特産品を発信する新ブランド
火山がごとき熱意と共にサリチェーティが手掛ける食文化PRの取り組みは、千も万もあるからそれを追うのは大変で、ましてやそれを一つの記事にまとめようとすれば脳に負荷がかかりすぎてどうにかなりそうだ。そういえば、2015年に僕はサリチェーティとジョヴァンナの結婚式で証人を務めたことはここで記しておきたい。
さて、そんなサリチェーティの最新情報は、彼のブランド「Saliceti 1969」を立ち上げたこと。
「あらゆるものを一つのブランドとして販売しようと思う。カラブリアの優れた特産品20種類を2年の間に商品化するつもりだけど、その先駆けとなるのが今年のクリスマスを前に発売を開始するパネットーネだ。嵩も低めのクラシックなパネットーネで3回の発酵を繰り返して焼成される。生地にはシトロンの皮の砂糖漬け、ロンゴバルディの紫ナス『レディ・ヴィオレッタ』の砂糖漬けにダークチョコレートチップを混ぜ込んだ」
そして発売が開始された。一番の大仕事は成し遂げられた。リリースを待つのは残りのたった19品目のみだ(いやいや、冗談で言ったのではないのだよ。こういうものはとっかかりが一番大変なのだ)。
面白くて度肝を抜くのは、パッケージのグラフィックデザインだ。箱の側面には、サリチェーティ個人の出来事というより、彼から見て1969年に起きた重要な世界の出来事が描かれている(僕から見れば彼の誕生こそ一大事件なのだが)。人類初の月面着陸、映画『イージーライダー』の世界公開、コンピューター間のネットワーク誕生、そしてウッドストックの開催。
「ぼくは世界で最も幸せな男だと思う。だって自分が好きなことを仕事として、自分の生まれた場所でやれるんだから。夢を叶えるのがとことん難しい場所ではあるけれど、だからこそ自分にはここがもっと大切に思える。
伝統ってのは習慣とは違う。頼るべき足場、つまりそれが持つ価値を見失うことなく革新を続けていくことだ。僕には様々な地域から店を開かないかと声がかかったよ。ニューヨークからもね。でも僕はロンゴバルディ村の海岸地区にですら、そうそう降りて行ったりしない。そんな僕が別の土地で暮らしていけるわけがないだろう。ここにはモノはあんまりないけど、僕にはここにあるモノだけで十分だ」
彼の店「デグステリア・マニャートゥム」は、今はもうバール・デッロ・スポーツの店内にはない。僕は最初ちょっと残念に思っていたが、新店舗からはティレニア海を見下ろすことができ、そこで日没を目にしてこの新しい店に惚れた。前の店から50メートルの場所だ。
ところで、サリチェーティはしゃべるのが仕事。だが、店の格に差をつけるのは何と言ってもジョヴァンナの腕だ。料理通信の読者諸君、今年のクリスマスプレゼントにそんな彼女のシグネチャー料理「ジャガイモのフリッタータ」のレシピをプレゼントしてくれるという。
だが、この贈り物を侮るなかれ。
マニャートゥム風ジャガイモのフリッタータの作り方
またの名を「ロンゴバルディのフリッタータ・ドゥ・スクール(De.C.O.*注)」と呼ばれるロンゴバルディ村の口頭伝承や文献をもとにして作られたジャガイモのタルト。これは次の手順で作ります。
[材料(約4人分)]
アグリア種のジャガイモ(ポテトフライに適した種類のジャガイモならよい)・・・2キロ
チーズ(ペコリーノまたは牛乳製硬質チーズを削ったもの)・・・大さじ1
オレガノ・・・ひとつまみ
フレッシュバジル・・・4枚
ペペロンチーノペースト(なければ粉唐辛子)・・・小さじ1
塩・・・適量
E.V.オリーブ油・・・適量
[作り方]
【1】ジャガイモを洗い、皮を剥いたらスライサーで薄くスライスする。軽く塩をふり、30分程度休ませる。
【2】ジャガイモから出た余分な水分をふき取り、その他の材料を加えてよく混ぜる。
【3】フッ素加工されたフライパンにたっぷりオリーブ油をひき、ジャガイモのスライスを一枚ずつ丁寧に並べていく。
【4】フライパンに蓋をして弱火で50分加熱する。
【5】均一に火が通っているかフォークの先で確かめる。フライパンより少し大きめの平皿に薄く油をぬってフリッタータに被せ、ボウルの上でフライパンに溜まった油をいったん切ってから、フリッタータを裏返す。
【6】再びフライパンに滑り入れ、取り除いた油を脇から流し込む。
【7】さらに10分間、今度は蓋をせず、下の面もカリカリの薄皮が出来るまで焼く。
【8】もう一度、平皿を被せてフライパンに溜まった油を切り、フリッタータを滑りのせる。
熱いうちに召し上がれ!(でも、冷めてもおいしいです)
チーズが食べられない人はチーズを入れなくても同じように作れます。
*注 De.C.O.(Denominazione Comunale d’Origine 仮称:原産自治体呼称)とは
地方自治体、その他の地方行政団体により、自治体の「典型的」な特産物、あるいは地域の歴史と強い結びつきを持つが、DOP(原産地呼称保護)やIGP(地理的表示保護)などEUによる認証を得ていない農産品、伝統料理、工芸品などを認証する制度。DOPやIGPなどと違い、品質基準はなく、地域的特性を保証するもの。例えば日本でも人気のイタリア料理「スパゲッティ・アッラ・アマトリチャーナ」もこの認証を得ている。
1990年にイタリア政府として法的に制度化され、現在イタリア全土で400を超える特産物などがこの認証を取得している。この認証制度の発案者は、イタリアを代表する食のジャーナリスト、故ルイジ・ベロネッリで、彼自身が自分の亡き後のDe.C.O.普及活動をパオロ・マッソブリオに託したことは、イタリアでは多くの知るところとなっている。
◎Magnatum La Degusteria
Via San Francesco 23 Longobardi
Tel. +39 098275201
www.magnatumladegusteria.it
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