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PEOPLE / 寄稿者連載

飽きない料理、長く愛される味。「鴨肉の塩焼き」

長尾智子さんの「今日も台所」第6回

2026.06.05

連載:長尾智子さんの「今日も台所」

いつも感じの良い料理とは何かを考えている。味も作りも込み入っておらず、安心できるおいしさであること。繰り返し食べたくなるもの。
ディータ・ラムスの「良いデザイン10の原則」の中に、良いデザインは長持ちする。という言葉がある。料理に置き換えると、良い料理は飽きられない。良い料理は長く愛される。ということだろうか。家でも店でも、どんな場所、食べ物以外のどんなものにおいても、飽きないというのは最強だ。

最近、シンプルで素直においしいものを食べる機会があって、久々に興味深かった。きっぱりと線引きされるルールは、食べ手は作り手に従うこと。私が知る中では、福岡の水炊きや韓国系の料理は、仲居さんやら女主人、時々店の隅で目を光らせている主人のいうことを聞くのが得策で、いつもは鍋奉行でも、たまには人の言うことを聞いて食べる心地よさもある。作り手ならきっと興味深いのではないだろうか。


女主人に従いながら

韓国料理店に詳しい人たちと行ったのは、何十年も続くローカル色満点の韓国料理店で、「鴨肉の塩焼き」を食べたのは初めて。道具は、平らにしたジンギスカン鍋のような脂が落ちる設計で、見るからに使いやすそう。そもそも韓国料理をさほど知らないから、実は一般的によく知られた料理なのかもしれないけれど(女主人に聞いたらどこでも食べるよと言っていた)、気持ちの良い仕切りの元で、料理以外のことまでも楽しめて、出会ったことのないタイプの料理と店のスタイルだったこともあり、とても新鮮で面白く過ごした。

割合細かく切り分けた鴨肉の幾つかの部位を、玉ねぎ(量は少ない)と一緒に隣のテーブルにおいたコンロで焼く。姿が見えないと思ったら、そこから離れてビールを取りに行ったりしている。ちょっと立ち寄ってはひっくり返してまた去っていく。火が通って脂が落ちると、小さな切れ端は白皿に放り込まれる。ちゃんと人数分だけある鴨肉を最初は一切れずつ、次は少し数が多く放り込まれ、醤油漬けした薄切りの大根に巻いて食べる。


もちろん、放り込むのはお母さんと呼ばれる女主人で、食べる順も決まっているしやり方に一片の迷いもない。決して譲らずきっぱりとしている。(もしやこれは、サービスのスタイル(態度)としても参考になるのではないかと思う)。
もちろん、いろいろなメニューがあるから、鴨肉に塩だけ、大根で巻くだけ、はその中の一つに過ぎない。けれどその店の看板料理でもあるし、控えめなたれがあったことはあったが、この料理にもっと味つけが必要とは思えない。

何かと指示されるということは聞いていたので、別段驚きもしなかったが、期待通りに荷物は一カ所にまとめるように言われ、結果全員の荷物をベンチシートの端に積み上げることになる。空けるべきところが決まっているようで、それも面白い。そして、焼いては出し、テーブルを拭き、さっさと片付けたかと思えば、いつの間にか向こう側のテーブルで鴨を焼き始めている。

やり方が決まっているというのは、やっぱり気持ちがいい。お皿が積まれていくこともなく、必要最低限がテーブルにあるという、見習うべき形があった。

すっきり明るくいきましょうよ。

これがいい、これだけで十分、というきっぱりした意志が持てたら、食べた誰かは必ずおいしい!と思うはずだ。味もさることながら、食べさせ方やプロセスや、いろいろな要素を込みで味わう。そんな味つけもあるというわけだ。
考えてみたら、居心地の良い店、再訪したい店、何かにつけて思い出す店は、店が醸し出すエッセンスのようなものを一緒に味わっているのかもしれない。

よくありそうなある日の韓国料理にも、気付かされることがあったという話。料理そのもの以上に、出来上がりや食べ方までの成り立ちによるところが多い。無駄のないこと、空間があること、ルールがあること、始末がいいって羨ましい。考えてみれば、足すのは簡単で、しかし足したら後戻りできないから、わかりやすく単純にしておき、物足りなければ足せるのが、食べ手に自由と想像力を与える料理なのではないか。そう考えると、作る料理や組み立ても変わってきそうだ。欲張らずに自分はここまでと決めて、やりすぎないということも重要。

気のせいなのか自分の周りに限っても、味覚が繊細になった人が少なくない気がする。少なからず、誰にも内省と向きあう時間があったことも理由の一つになりそうだし、盛りと映えだけではない食べ物の奥深さに気づく人が増えればいい。

濃い味に慣れると素っ気ない味に戻れないように、いくら希少で高級な材料を使っても、味は重ねてしまうと引けないもの。それは家で作るものでも、飲食店でも同じ。家族やお客様に提供する作り手側次第で、人の味覚は変わるはず。料理愛好家でもプロの料理人でも、皆さんすっきりとして明るい意思を感じるものを作りましょうよ、と思う。

鴨を鶏に。そして、大根は美しく

そんな風に考えていくと、この間の鴨肉の塩焼きをまた思い出す。そして作りたくなる。

鴨肉を買いに行ったら、時季が過ぎて品切れだったので諦めたが、少しでも似たような食べ方を試したかったので、鶏もも肉を小さめに切り分け、皮は身を残して削ぐようにしてみる。薄切りにした大根は、白だしと醤油、酢、水にしばらく浸ける。焼肉用のグリルは持っていないので鉄のグリルパンで、軽く塩を振っておいた鶏肉を焼き、大根を巻いて食べる。
韓国唐辛子(粗挽き)をひと振りしつつ、パンチャン(副菜)もない、似ても似つかないけどまあいいか、とせめて大根は美しく盛る。その程度でもおいしい。

パーツが揃わず物足りないが、ひとまず満足な韓国風味の食べ方。焼いた材料を薄く味付けした大根に巻いて食べる、というだけの手軽さはとても快適だから、ついでに海苔で巻いてみたりしつつ、間違いなく繰り返すだろう。
飽きない料理というのは、やはり案外単純ということなのだ。

今月のキッチンハック 「スッカラ」


韓国料理でおなじみのスッカラ(スッカラッ)。使っていますか?
平らで丸いボウル部分に細長い柄を持つスプーンのバランスは、他に類を見ないほど個性的だ。
カトラリーの一つとして取り入れてから、使い慣れていくとかなりの汎用性に驚いた。韓国では、このスプーンとやはり長めの箸(チョッカラッ)がセットで、スプーンは箸のサブ的な役割かと思いきや、そうでもないらしい。

初めてベトナムに行った時、例えばフォーのような日常的な麺を食べる場合に、片手に箸、もう一方にレンゲを持って食べるのがとても新鮮で、そして食べやすくてなんともおいしく感じたものだ。それとは違って韓国式は両方を一緒に使うものでもないらしく、その基本的なルールも興味深い。

汁物の多い食事は、日本と似ているとも言えるけれど、道具として使うときの解釈は違って、汁をすくうだけでなく、ヘラのようにも使うとのこと。私たちが箸でやることをスッカラが担っていると考えると、混ぜる料理、汁と一緒に食べる料理が多いのかなとも思う。

とにかく使うほどに出番は多くなり、何も考えずに手にとって、大きめでもあることから汁物以外に、取り分け用のサーバーとして使うことがメインの役割にもなってきた。
骨董市で手に入れたものが多いので真鍮製だから、素材感の雰囲気の良さと美しさもあって、すっかり日常に溶け込んでいる。

古くは竹など植物から金属に変わってきたそうで、今では丈夫なステンレスが一番馴染みがあるだろう。ある時、材料を混ぜるのに使ってみたら、調理道具としてもなかなかいいものだと気付いた。と思ったら、調理にも使うものらしい。ステンレス製はまだ持っていないので、近々手に入れて台所道具として仲間に入れる予定。

意外な快適さのある丸いスプーンは、何に便利か、という効率的なメリットとは違う、混ぜる、計る、ほぐすなどの当たり前にやっている動作に、改めて意識を向ける感覚を与えてくれる気がする。試しに一本、取り入れてほしい。


長尾智子

長尾智子
料理家、フードコーディネーター。単行本の出版や雑誌の連載などの執筆、商品開発、メニュー提案などと並行してオリジナルの器〜SOUPsを主宰。料理とお酒について様々に実験中。 Instagram:@new__standards

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