好きで選んだ味噌さえあれば。Less is Moreが導く先へ
長尾智子さんの「今日も台所」第5回
2026.04.14
今日はなんだか疲れてるなと感じる時、決まって作る飲み物がある。ひとまず助かるもの、それは何かと思い浮かべるのは人それぞれで、一杯のコーヒーあり、緑茶やビールもあるだろう。一杯のサプリメントのようなものだ。
疲れている時ばかりでなく、普通のお昼でも思いたって作るのは、一杯のお味噌汁。常備している2種類のお味噌をお湯に溶いただけの、「具なし」「出汁なし」だ。
気に入った味の味噌を持つというのは、とても重要なことで、それさえあれば何の迷いもなく一椀がすぐにできる。長年食べ慣れている関東の玄米味噌、鹿児島の麦味噌、青森の津軽味噌、長野の農園自家製味噌など、実は味噌好きなので、それぞれを味わう一番の方法としてもお湯を注ぐだけの飲み方は、個人的には日常の当たり前、拠り所にもなっている。
インスタントな「かちゅー湯」の知恵
沖縄に「かちゅー湯」という即席味噌汁がある。これは本当に賢いアイデアで、お椀にたっぷりのかつお節と味噌を入れ、お湯を注ぐという、合理的でそれでよかったんだと気付かされるくらいの、真っ当でインスタントなスープ。
鰹節の消費量がだんとつに多い沖縄らしく、燻製香が強くやわらかさのある荒節を使い、お椀に入れる味噌は米麹の甘さが立つ風味豊かなものだろう。ずっと前、公設市場でかつお節を選ぶときに知ったかちゅー湯。
以来、「素味噌汁」に加えて、かつお節にアオサを加えたり、何種類かある味噌を変えつつ親しんでいる。日頃から親しんでいる素材さえ手元にあれば、時間も手間もかけずに作れるという、日常において基本にしたいものであり、家庭料理の知恵。
何かとよそがてんこ盛りの食べ物が多い中で、作るものの座右の銘のようにしているディター・ラムスの名言、Less is Moreだが、かちゅー湯はまさに汁物のLess is Moreと言えるだろう。手間がかからずわかりやすく、おいしく、そして始末がいい。簡単な中に何一つ不足がない。
なんであれ、最小限で十分なものにするには条件がある。本当に自分が満足したものであるかどうか。一般的にどうかの判断ではなく、自分にとって良いものであればいい。
何を食生活の中心に置くかが決まれば、面倒くささや諦めやらも解消される。ストイックに思えるかちゅー湯でも、いわゆる断捨離とは違う。削り続けて貧相になるのではなく、時には賑やかに盛ることのできる、明るい可能性を秘めている。好きで選んだ味噌さえあればそれで済むということ。
食べていないのに、おいしいとは?
8月まで、六本木の21_21デザインサイトで開催中の「スープはいのち」(Soup as Life)展に参加の機会があり、スープ作りの工程を美しい映像で表現していただいた。料理のプロセスは、写真でも動画においても基本は同じで、食べずしておいしさを伝えるということが一番の目的だと思う。
実際の作業の動きを追ってみるのは面白く楽しい。テレビの料理番組での解説つきよりも、むしろ想像力をかき立てるのではないかと思うくらいだ。
野菜を染めの素材にしている工房における染色の工程と、同じ野菜を食べるためのスープにする工程を並べている展示で、ずいぶん前の雑誌連載を思い出した。
それは「フードアンドクラフト」とタイトルをつけた連載で、毎回作り手のところに出かけて行って取材し、自分にとっての手仕事の解釈を文章にした。
手仕事の結果、着たり入れたり座ったり敷いたり、そして食べるものに仕上げることは全部一緒だと思っていたので、それを再確認するため、そして、手仕事は全て同じではないかと問いかけるための連載でもあった。
その事を証明するかのような今回の展示は、ある意味スープを始めとした料理という手仕事をしてきたまとめの場のようにも感じて、あまりにも素直でストレートな表現によって可視化されたことに内心驚いた。
スープ展の中心人物はイッセイ ミヤケで衣服のデザインを手掛け、デザインの世界に生きながらスープをテーマに、スープの世界も生きる人。スープの重要さを切実に感じたこともあったようで、その意味では私も家族の食事を工夫している時期に学んだことが大きいので、スープに対しての思いは近いところがあるのかもしれない。
撮影は若手の映像作家、林響太郎さんで、スタッフは全員初めて仕事をする人たちだった。ひとつ作り終わってトッピングを散らしたりオイルを垂らしたりというところまで済むと、彼はその都度「おいしい」とつぶやいた。食べていないのに? おいしいとは?
出来上がりをすでに食べたような表現は謎ではあるが確信に満ちていて、味が保証されたような安堵感があった。「おいしい」を短くつぶやく味の預言者に導かれるようにして全員で食べた撮影後のスープは、作り手としてはこれでよかったのだという証明のような味わいだった。
展示では、同じ野菜の染めの工程と映像が並んでいるが、どっちがどっちかわからないような感じ、という感想を聞いた。
そう、境目などないのだ。身体に纏うか身体に取り込むかはどちらも必要不可欠でほぼ同じ役割をしている。自分にとっては当たり前だったことも、実際に人の素直な感想を聞いて初めて、ディレクターの遠山夏未さんの思いがどれほどのものかがわかった。
一杯のスープを中心に、さぁ何を着ようか
考えてみれば、人がおいしいと感じる多くの部分は視覚によるもの、という説を読んだことがある。おいしいと感じて、いざ食べて確認するということなのか。もっとも、見た目が良くても味が伴わない場合もあるから作り手は要注意。中身あってこそだから、見た目にばかりとらわれてはいけない。ちなみに、一番の見た目を作るには、手触りのある色と素材感を見つけ出すことだと思う。
一杯のスープが食生活の中心なら、どんな家具を持って住むか、何を着るかも同じように決めていけそうだ。全てはつながり、同じことなのだとスープのある場で改めて気付かされた。
長尾智子
料理家、フードコーディネーター。単行本の出版や雑誌の連載などの執筆、商品開発、メニュー提案などと並行してオリジナルの器〜SOUPsを主宰。料理とお酒について様々に実験中。 Instagram:@new__standards
長尾さんの連載第1回はこちらから