「日本酒」が映し出す、地域本来の姿。蔵元が描く菊池川流域の理想郷「産土」
【熊本】 中田英寿のクラフト生産者を巡る旅#04
2026.07.28
生物多様性の保全における水田や湿地の重要性が見直されるなか、地域性を生かした日本酒を志す造り手によって、昔ながらの米作り、酒造りが広がっています。
土地在来の品種米の活用や畑苗代、疎植一本植え、自然農法、馬耕・・・それによって育まれた米の味わいを生かす醸造。熊本「花の香酒造」蔵元・神田清隆さんは一連の取り組みを「十二農醸」と表現し、菊池川流域和水(なごみ)地区に元来備わっていた自然の営みを取り戻そうとしています。中田英寿さんが訪ねました。
目次
文化を「発展」させる覚悟
熊本県和水町にある「花の香酒造」は私で六代目になります。もともとは東京で飲食の会社を立ち上げたのですが、実家の蔵の経営が平成の初めから厳しくなり、34歳のとき腹を括って、熊本に戻りました。
酒造りの経験はほぼゼロ。山口の旭酒造さん(獺祭)の桜井博志会長を頼って、2カ月間、山の中の蔵に寝泊まりして、1日も休まず仕込みから搾りまでの全工程を毎日見続けました。 34歳になって、ひたすらインプットだけの2カ月なんて、なかなかないですよね。教えていただいたことを全部ノートに落として、帰ったら自分一人で造れるように、頭の中で酒の設計図をつくっていきました。
蔵に戻って最初の酒造りで手がけた純米大吟醸「花の香」は、正直いって自分ではおいしいと思えなかったんですが、思いのほか高い評価をいただきました。 ただ、その頃の私は、とにかく技術を追いかけるために、いろんな酵母を試し、精米歩合も上げ、低温発酵もやる。気づいたら「花の香は何がしたい蔵なのか」が自分でもわからなくなっていた。5年ほどモヤモヤしていました。
大きな転機になったのは、海外を回ったことです。シャンパーニュから入り、ブルゴーニュ、ボルドーを2週間うろうろしたんですが、そこで一番強く感じたのは「人間の意思」です。 なぜこの土地はシャルドネの単一品種で行くのか、なぜここはブレンドの文化を何百年も変えずに守っているのか。その背後には、土地と品種に対するリスペクトと、文化を消費ではなく発展させるという覚悟を感じたんです。
それが自分の軸になりました。技術も流通も仲間も培えた今なら、一から酒造りのあり方を問い直せる。コロナで売上が落ちたことを契機に、全国80軒あった特約店との契約をすべていったん解消し、理念を共有できる14軒だけと組み直して、新ブランドを立ち上げました。
天下第一のお米
そんな中で出会っていたのが、江戸時代の在来種米である「穂増(ほませ)」です。熊本・菊池の農家さんから、在来種の米があると聞いて、佐賀県唐津の菜畑遺跡の博物館で資料を見つけました。 明治期の優良品種の表に、山形の亀の尾や静岡の愛国、京都の朝日と並んで「熊本 穂増」の名が載っていました。
調べていくと、江戸時代には大阪・堂島米会所で「天下第一のお米、肥後米」と称され、最高値を記録し続けた歴史があったんです。その中心にあったのが「肥後米 穂増」です。明治初頭にはいったん姿を消し、“幻の米”とまで呼ばれるようになりましたが、2017年、わずか40粒の種籾をもとに菊池市の農家たちが復活に成功しました。その後、私もその輪に入れてもらいました。
穂増は、現代の米とはまるで性格が違います。野性味が強く、抗酸化力がとても高い。肥料を与えると逆に障害が出やすいので、完全な自然農法でないと、本当の力を発揮してくれないんです。
私たちは肥料も農薬もいっさい使わず、土の中の菌や微生物、虫たちの命の循環だけで地力を高めていく方法を選びました。 畑で苗を育て、一本ずつ根を切らないように掘り起こして田んぼに植える。江戸時代には当たり前だった1か所に苗を1本だけ植える「一本手植え」を、今の時代にそのままやっているわけです。
自然農法って、始めてから3年目ぐらいで一度、田んぼがバーッと病気になる。 土の中のバランスが一番悪くなる時期なんでしょうね。そこを越えて5年目ぐらいになると、ほとんど病気が出なくなる。人間でいえば腸内環境が整ってくる感覚に近いのかなと思っています。 今うちの自然農法の田んぼは7年目に入っていて、カエルの鳴き声もクモの姿も、以前とはまったく違う景色になりました。
こうした農業の延長線上に、「産土」というブランドがあります。
産土という言葉は、うちの祖父が生前ずっと大事にしていたもので、人が生まれ育つ土地、その土地を守る神、そして生命を育む風土そのものを意味する日本の古語です。最大の産土は母親である——祖父はそう本に書き残していました。 私は世界一の酒を造りたい、平和のシンボルになるような酒を造りたいと、常々口にしてきましたが、後になって祖父の遺稿を読むと、同じことを願っていたことが分かって、とても驚いたのです。
「十ニ農醸」を目指して
私が目指しているのは、菊池川流域全体を自然農法に変えていくことです。川が変われば、有明海のノリやアサリの味も必ず変わる。4、5年で海に現れると言われています。 いまは裏山を少しずつ買い足して、杉を伐り、多様な木や草花が共生する山に戻していこうと。山羊を飼って蔵の横の田んぼの草を食べてもらい、鈴の音でイノシシを遠ざける。 カエルやメダカが戻り、クモの顔ぶれが変わっていくのを見ていると、確かに環境は応えてくれているのを感じます。常に何かが増えたり減ったり、生態系の椅子取りゲームみたいなものがあるのでしょうね。
産土の酒は、アルコール度数を13%。飲み続けられること、もう一杯飲みたくなることが設計の中心です。 複雑で野性的な穂増の個性をアミノ酸でつなぎ、水由来の苦味でキレを出す。発酵ガスを含んだジューシーさも、うちの大事な要素です。 農法と醸造法の組み合わせを「四農醸」「五農醸」と段階に分けて、最終的に「十二農醸」まで積み上げていく設計です。
日本は、世界一豊かな文化を持ちながら、文化を消費するだけの国になりつつある。その歪んでしまった感覚を少しでも元に戻したい。 私にできることは、米を自然農法で育て、その土地の歴史と生き物の気配をそのまま酒に映すこと。そうして少しずつ、美しい形にしていきたいと思っています。
土地に根ざした要素を、どう掘り起こしていくか。(中田)
産土を初めて飲んだとき、甘味も酸もちゃんとあるのに、舌の上に重さが残らないことに驚きました。 一杯で終わる酒じゃなくて、「もう一杯いけるな」と素直に思える軽さがある。そこが今の日本酒の流れの中でも、すごく象徴的だと感じています。
十年くらい前までは、日本酒の世界でも「どこまで米を削るか」がテーマでした。とにかく精米して、麹や酵母も“効きやすい”ものを選んで、分かりやすくおいしい方向へ進んできた。 その結果、「ここまで削って、こういう麹・酵母を使えば、これくらいのおいしさまでは行けるよね」というラインは、もう見えていると思います。
そこから先に進もうとしたときに、蔵ごとの独自性や、自分たちにしか出せない「おいしさ」が重要になってきました。昔ながらの木桶に戻る蔵もあれば、地元の米に振り切る蔵も出てきている。 米作りに踏み込む蔵も、ここ10年で確実に増えてきました。原料を守りつつ、自分たちは何が違うかを語るための要素でもあるのでしょう。僕は、そういう「土地に根ざした要素」を、意図を持ってもう一度掘り起こしていく動きが、これからの日本酒の軸になると思っています。
日本酒で次のテーマになるのは、「おいしいけれど軽い酒をどうつくるか」です。 低アルコール=軽い、ではない。16度、17度あっても、軽くて抜けのいい酒はつくれる。度数を下げるだけなら、水で薄めれば誰でもできるけれど、そのままだと味わいはすぐ薄っぺらくなってしまいます。
産土は、甘みや酸をきちんと感じさせながら、飲み疲れしないバランスに着地している。 そこに到達するのは、言うほど簡単ではありません。軽く仕上がっているのに輪郭はぼやけない。このあたりの味の設計を聞いていると、神田さんは本当に勉強してきた人なんだな、と感じます。
おいしさの物差しは、この先も変わり続けます。同じ造りを続けていればいいわけではない。 だからこそ、味だけでなく、米の選び方や伝え方も含めて、「自分たちにしかできないことは何か」を問い続けている蔵が、次の時代の日本酒をつくっていくんじゃないかと思っています。
◎花の香酒造
熊本県玉名郡和水町西吉地2226-2
https://inawashiro-urushi.jp/
【連載】中田英寿のクラフト生産者を巡る旅
中田英寿(なかた・ひでとし)
1977年生まれ。山梨県甲府市出身。元サッカー日本代表。引退後、2009年より16年以上にわたり全国47都道府県を旅し、2015年に日本の文化や伝統産業に革新をもたらし、未来へつなげるために「JAPAN CRAFT SAKE COMPANY」を設立。日本酒を始めとし、日本茶や工芸など日本文化の市場拡大に貢献するほか、地域の知られざる魅力を丁寧に伝えるウェブマガジン「NIHONMONO(にほんもの)」やポッドキャスト「NIHONMONO ~中田英寿 『にほん』の『ほんもの』を巡る旅〜」などで、日本文化を国内外に発信する活動を続ける。
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