麦からパンまで。デンマークのオーガニック製粉会社が描く食の未来
2026.05.19
text by Sawako Kimijima / photographs by Atsushi Kondo, Aurion
ライ麦全粒粉のパン“ロブロ”を焼くパン職人が増えている。それはきっとロブロに未来を感じるからだ。ミネラルやビタミンに富む栄養価の高さ。食物繊維が豊富で、グルテンは少ない。賞味期間が長く、ロスが出にくい。痩せた土地でも育つライ麦はオーガニック栽培向きで、土壌改良効果もある。つまり、人にも地球にも健康メリットが高い。
『ロブロの教科書』(誠文堂新光社・2024年刊)の著者で、ロブロブームのきっかけを作ったデンマーク食文化研究家・くらもとさちこさんが「食の未来を考える上で、ぜひ話を聞いておくとよいですよ」という人物を紹介してくれた。デンマークのオーガニックを半世紀にわたってリードしてきた製粉会社、アウリオン社CEOブリアン・トルストルップ・ニュボさん。ロブロを入口に、オーガニックの世界をちょっぴり深掘りしてみよう。
目次
ロブロがライ麦栽培を前進させる
パン職人たちの支持が厚い北海道・十勝の製粉会社アグリシステムは、ここ数年、職人向けロブロ講習会と農家へのライ麦栽培の働きかけに力を入れている。
土中に張り巡らされる根毛が土壌改善に役立ち、農薬・化学肥料に頼らずとも一定の収量を確保できるライ麦栽培の拡張は、社長である伊藤英拓さんのかねてよりの願望だ。しかし、黒くて重くて硬いイメージのライ麦パンは日本人好みとは言い難い。食べ手が増えなければ、栽培も増やせない。そこに天啓とも言える示唆を与えたのが『ロブロの教科書』だった。デンマークの国民食とも言えるライ麦パンのバックグラウンドや効能、食べ方、作り方を丁寧に的確に伝えたことで、ロブロはパン職人が焼きたいパン、客に提供したいパンとして急浮上。ライ麦の作付け希望も順調に増えているという。
アグリシステムはライ麦の充実を図るべく、2025年、デンマークの麦協会「ランソーテン」に加盟した。世界最大の有機種麦へのアクセスを目指す会員組織で、有名無名に関わらず、市場では入手できない麦の品種へのアクセスが可能になる。「古代ライ麦種子、春まきライ麦種子、焼き畑ライ麦種子、紫小麦(古代種)を輸入しました。2026年より播種を開始します」と、伊藤さんは期待に胸を膨らませる。
麦協会ランソーテンの運営に関わるのが、本記事の主役アウリオン社である。
アウリオン社とはどんな会社か? なじみの薄い私たちのために、伊藤さんに解説してもらった。
- ・育種(協会を通じて)、栽培指導、栽培、製粉、流通、販売までを一貫して行なっている。
- ・取扱いのすべてがオーガニックかバイオダイナミック農法で栽培されたものに限られている。
- ・デンマークのベーカリーから品質の面で圧倒的な信頼を得ている。
- ・理念が明確で、ブレることなく継続され、社会に浸透している。
の4点を挙げ、さらに特筆事項として「現地でアウリオン社のライ麦のロブロを食べた時、かつて経験のしたことのない生命力を感じた」と力説する。「私は『おいしい』という個々人の価値観に左右される曖昧な概念に対して、最も重きを置くのが『生命力を感じるか。心身が求める感覚はあるか。体にすっと入っていくか』。それをもって『おいしい』を判断する」というコメントを聞くと、伊藤さんがアウリオン社に寄せる信頼の拠り所が見えてくるような気がする。
古来種を掘り起こして育種する
「アウリオン社の理念を評価できるデンマークの人々の農や食へのリテラシーにも感銘を受けました」と伊藤さんは言う。
デンマークは世界有数のオーガニック先進国だ。1987年に世界初のオーガニック法を制定し、認証制度をスタートさせた。食品市場の12.8%がオーガニック食品(2022年発表)と世界トップクラスを誇り、国民の4人に3人は毎週なんらかのオーガニック食品を購入するというデータもある。有機農業耕作面積比率は、全農業用地の11〜12%(2022〜23年時点)でこちらも世界トップクラス。ちなみに日本の有機農業の耕地面積割合は0.5〜0.6%(有機JAS認証ベースでは約0.3%)と比較にならない。農林水産省「みどりの食料システム戦略」が掲げる「2050年までに25%に引き上げる」という目標達成のためには、ぜひともデンマークに学ばねばなるまい。
アウリオン社は、一般消費者向けの商品も手掛けるが、パン職人や大手卸売業者向けへの販売が圧倒的。麦と豆を主として、ことに麦は現時点で26種(文末の一覧参照)を扱う。オーガニックもしくはバイオダイナミック農法による作物であること、そして、古来種や在来種に特化しているという特徴を持つ。
「契約農家の1軒が保有していたスペルト小麦がきっかけでした。脱穀・製粉し、焼いて食べてみると、すばらしくおいしい。創業時に手元にあったのは小麦・大麦・ライ麦・オーツ麦の4種でしたが、スペルト小麦が新しい世界を開いてくれました」とアウリオン社CEOブリアン・トルストルップ・ニュボさんが語る。
そこから古来種の探求が始まった。デンマークを代表する育種家アナス・ボーエンさんと連携して、ジーンバンクから古来種の麦を入手しては育成する試みを重ねていったという。
「例えばジーンバンクにスペルト小麦が20種保存されているとします。それらの中から面白そうな8種を譲り受ける。渡されるのは20粒ほどです。契約農家の1、2軒もしくは麦協会の畑に播いて収穫し、とりわけ元気な粒を翌年播いて、を繰り返して増やしていく。1haの畑に播けるようになるまでに5~6年かかりますね」
十分な量が収穫できるようになったところで初めて、その麦がどんな性質を持つのか、病気に強いのか、食味は良いのか、製パン性に優れているのか、どんな活用法が考えられるのかが見えてくるそうだ。
プラントベースが古来種を推す!?
「新しい種を否定しているわけではありません」とブリアン・トルストルップ・ニュボさんは言う。「栄養や味を比べると、古来種に軍配が上がるのです。近代の品種は概して栽培のしやすさや収量の多さに比重が置かれているせいでしょうか。原種に近い種のほうが、元々備わっていた栄養や味が温存されているのでしょう」
アウリオン社が栄養や味を重視するのは、これからの時代、地球環境への負荷の少ない食事スタイル、いわゆるプラントベースやヴィーガン志向がいっそう広まるだろうとの見通しからだ。
デンマークで生産される麦の9割は家畜の飼料用で、人間のための麦は1割にすぎないという。
「“麦⇒豚⇒人間”ではなく、“麦⇒人間”のほうが、食料生産に要するエネルギーは少なくて済む。環境負荷は小さい。私たちは家畜を介さずに人間が直接恩恵を受けられる麦を育てるべきと考えています」
プラントベースが広がれば、当然のことながら、動物性食品に頼らずとも栄養価や満足度の高い食事内容が求められてくる。
「麦と豆の重要性が増すでしょうね。麦と豆でタンパク質やエネルギーを摂取しようという考え方です」。であれば、麦が内包する栄養はもっと充実しているほうがいいし、食味が良くて、かつバラエティに富んでいるほうがいい。
その観点で見た時、古来種の存在価値が高くなるというのがニュボさんの見解だ。
麦の食べ方はパンだけじゃない
アウリオン社では、官能検査士による麦の官能テストを欠かさない。まず、粒のまま茹でてテイスティング。次に、挽いた粉をパンに焼いてテイスティング。どちらにも味はまったく加えない。検査士が香り・味・食感などの特徴を徹底的に書き出していく。
「パンと具材のマッチングによって生み出される味の世界があり、新しい味わいの領域が拓かれる可能性がある。たとえば、ローストビーフのスモーブロを作る時、台となるパンにどんなライ麦を使うとよりおいしくなるのか。提案のための官能テストでもあります」
テストにはトップシェフたちが高い関心を寄せているというが、食卓と畑が結び付いてこそオーガニックも古来種も暮らしに根付くと教えられるエピソードだ。
「麦を食べる方法はパンだけではありません。粒のままや砕き麦として料理する習慣があったにもかかわらず、姿を消しつつある。そんな粒食を復活させたいと考えています」
確かに粒食は、製粉のプロセスを必要としない分、設備やエネルギー、手間と時間の省力化が図れる食べ方だ。昔の人はどんな調理を施していたのか、デンマーク食文化研究家のくらもとさちこさんに尋ねてみた。
「大麦は、ほんの少しの肉と野菜と一緒に煮ていたと聞いています。砕き大麦というものもあって、水か牛乳でお粥として煮ることが大半でした。ロブロと同じくらい毎日食されていたようです。リンゴと一緒に煮たり、ほの甘い味に仕上げることも多く、日本やアジアのお粥とは少し異なる文化ですね。丸麦(精白した大麦)はリゾットのような煮込み料理としても使われ、新北欧料理が注目を浴びた時に再認識されて、今でも登場する料理の一つです。茹でてサラダに使うこともありますね」
農家と協働して厳格な独自基準を貫く
アウリオン社の事業は、栽培を担う契約農家との連携の上に築かれてきた。小さな会社ながら大きな影響力を発揮し得るのは「協働」によるところが大きい。
現在、契約農家の数は35軒。毎年、4、5軒の農家からアウリオン社の方針に沿って麦を栽培したいとの打診があるそうだ。
「申し出があると、栽培の専門家が出向いて行って、その土地の気候や畑の土壌を調べます。調査に基づき適していると思われる品種を提案して、まずは育ててみてもらう。アドバイスを欠かさず、手応えをヒヤリングしながら、確実に収穫できるように導いていきます」
最も古くから契約関係にある農家とは44年の付き合い。農家との一心同体の関係性が見えるかのようだ。
今回の取材の冒頭、ニュボさんはまずアウリオン社が理想とする農業の考え方を語ってくれた。その話をしてからでないと、どんな質問にも答えられないという強い意志を感じさせる語りぶりだった。
「現代の農業は収穫量を優先します。どれだけ採れるか、ですね。私たちが大切にしているのは、土壌であり、多様性であり、気候風土に合っているか、です。慣行農業の場合、収穫量を増やすために土に肥料を与えますが、肥料を与えることで土は痩せるんです。肥沃な土がどんどん薄くなってしまう。私たちは、肥沃な土を維持する農法を実践しています」
具体的な手法のひとつが輪作とカバークロップ(被覆植物)。収穫の後、土がむき出しにならないように、被覆植物を植える。穀物栽培の後はクローバーやライグラスを、豆類栽培の後にはアブラナ科植物(緑肥用ラディッシュ、カラシナ、菜種など)。それによって、図表のような効果があるという。
輪作の事例としては、【1年目】 クローバー⇒ 【2年目】 春まき穀物⇒クローバー/ライグラス⇒冬まき穀物⇒ 【3年目】オイルラディッシュ⇒ 【4年目】 豆類⇒ライグラス⇒ 【5年目】 春まき穀物⇒クローバー/ライグラス、のように、作物とカバークロップを組み合わせた流れとなる。
<カバークロップ(被覆作物)の役割>
■窒素の流亡を防ぐ(環境保護)
収穫後に土壌中に残った余分な窒素(硝酸態窒素)を吸収し、雨で河川や湖、入江へ流出するのを防ぐ。
■土壌構造の改善
根が土をほぐし、団粒構造を促進し、有機物含量を高める。
■雑草の抑制
速く生長して地表を覆い、光を遮ることで雑草の発生を抑える。
■養分の保持
窒素だけでなく、カリウムなど他の養分も吸収し、流出を防ぐ。
■土壌肥沃度と炭素の増加
分解(または鋤き込み)によって有機物が土に戻り、炭素含量と肥沃度が向上。
■土壌侵食の防止
植物が地表を覆うことで、特に傾斜地において風や水による侵食を防ぐ。
アグリシステムの伊藤さんも同じ考えを持つ。
「農業の本質は土壌の健全性にあります。生きた土壌の重要な要素となる腐食率・団粒構造・生物多様性を基本とすること。いろんな農法や規格・基準に関係なく、すべての土壌に共通する課題であり、目指すべきところ。そして、これは農業だけでなく、教育、医療、人間の健康、様々な事柄の本質でもあると思っています」
アウリオン社には大学や研究機関から「麦の研究に参加してもらえないか」というオファーが引きも切らない。デンマークでも同社ほど麦の種類を幅広く保有しているところはなく、必然のなりゆきらしい。「最近では、多年草の麦の研究に関わっています」
創業当時は変わり者と見られることが多かった。「最近は私たちがやっていることに興味を持つ人、同じような考え方を持つ人が増えました。特に若者にね」。貫いてきた信念が市民権を得た喜びをニュボさんは隠せない。
<アウリオン社 取り扱い麦一覧 >
【小麦 Hvede】
オーランド小麦(Ølandshvede)
ダーラー小麦(Dalarhvede)
ハラン小麦(Hallandshvede)
マリアトバ小麦(Mariagertobahvede)
カムット小麦(Kamut)
デュラム小麦(Durum)
アインコーン/一粒小麦(Enkorn)
エンマー小麦(Emmer)
青小麦(Blå hvede)
紫小麦(Purpur hvede)
オリジナル・デンマークスペルト
(Original Dansk spelt) … デンマーク地方種
E3スペルト小麦 (E3 spelt)
オーバーカルマー・ロットコーン
(Oberkulmer Rothkorn) … スペルト種
マックス1(Max 1) … スペルト種
球状小麦(Kuglehvede)
クアーナ(Quarna)
【ライ麦 Rug】
ボリスライ麦(Borrisrug)
ペトクス・秋まきライ麦(Petkus vinterrug)
ペトクス・春まきライ麦(Vårrug)
焼き畑ライ麦(Svedjerug)
ライ麦(Rug) … バイオダイナミック種
【オーツ麦 Havre】
オーツ麦(Havre) … バイオダイナミック種
ダマジカ大麦(Dådyrhavre) … デンマーク地方種
【大麦 Byg】
大麦(Byg ) … 地方種
バブスカはだか麦(Babuska nøgnbyg)
赤はだか麦(Rød nøgenbyg)
◎アウリオン社
https://www.aurion.dk/
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