人間と自然をゆるやかにつなぐ、“漆の楽園”。漆の植樹活動「猪苗代漆林計画」
【福島】中田英寿のクラフト生産者を巡る旅 #03
2026.05.08
text by Kyoko Kita / photographs by inawashiro-urushi
国産漆がにわかに注目を浴びています。文化財の修復に国産漆の使用が義務化された2015年以降、慢性的に供給が追いつかない。戦後、減り続けたウルシの木。このままでは「採り尽くしてしまう」という危機感をもった3人の立場の異なる若者が、漆器産業の再興をかけて、福島・猪苗代町の耕作放棄地に漆を植え始めました。
「猪苗代漆林計画(いなわしろうるしりんけいかく)」のメンバー、漆器プロデューサーの貝沼航さん、漆掻き・塗師の平井岳さん、会津伝統野菜農家の土屋勇輝さんを、中田英寿さんが訪ねました。
目次
野生動物との境界線に、漆林をつくる。
ウルシの木は、これまで数千年にわたって人に維持管理されてきました。繊細な木なので、人の手で草刈りや間引きなどが行われないと、うまく育たないんです。ウルシが自分の身を守るために出す樹液が、漆です。
専用の道具で木に傷をつけ、出てきた樹液をへらで集めます。数日おきに傷をつけますが、傷のつけ方を誤ったり、木に元気がないと出る量が減ったり、水っぽい漆が出たりします。
最初の傷は浅く短く、木の反応を見ながら徐々に幅や長さを拡大し、少しずつ上へ。傷をつける間隔、傷のつけかたも漆掻きによって違い、それによって、木目が透けるような透明度の高いものから濃い色味をもつものまで、採れる漆に個性が出ます。
漆掻きは4〜5月にウルシの木を見つけます。自ら漆林を所有する職人もいますが、多くは土地の持ち主から購入します。木の付近の草刈りなど整備をし、6月から漆を掻く。最盛期は8~9月。10月に作業を終えて木を倒し、冬までに片付けを終えて1年の仕事が完了します。
1シーズンで1本の木から採れる漆はわずかコップ1杯分(180ml)程度。条件によりますが、年間で一人の職人が採取するのは、数十本から百本程度です。
ここ会津地方は400年以上の歴史をもつ、国内有数の漆器の産地です。かつてはこの地で採れる漆を使っていたのですが、育てるのに15年、採取に時間や手間がかかり、戦後は安く手に入る中国産などが大半を占めるようになりました。
状況が一変したのは平成27年、文化庁が重要文化財や寺社仏閣の修復に原則として国産の漆を使うことを決めてからです。国産の漆に対する需要が急速に高まり、供給が追い付かなくなっていました。自生が難しいウルシは、木を植えて育てて使うことをしなくなった数十年の間に大幅に数を減らしてしまったのです。
「このままでは今植わっている漆を採り尽くしてしまうのでは」と漆器産業の存続すら危うく思えてきました。
漆器のプロデュースをしている私(貝沼さん)が、漆掻き職人で塗師でもある平井岳さん、お米や伝統野菜の農家である土屋勇輝さんと一緒に「猪苗代漆林計画」を立ち上げたのは3年前のことです。
平井さんは、細かく分業化された漆の世界では珍しく、漆掻きから塗りまでを一貫して手掛けています。シーズンになると毎日山を歩き、昔植えて放置されていた残存木や日当たりの良い場所で運よく自生している漆の木を探し出しては、持ち主と交渉して採らせてもらうのですが、やはり、限界や困難さを感じていました。
そんな折、高齢化が進む集落で、譲り受けた山ぎわの耕作放棄地の扱いに手をこまねいている農家の土屋さんと出会いました。獣害が深刻で、普通に作物を育てるのは難しい土地でしたが、放置しておけば野生動物が人里に入り込んでしまいます。
そこで、漆を植えよう、と。漆なら維持管理のコストを回収できますし、人と協働して手を入れながら、最終的には自然に還すこともできる。次の世代に良い形で里山を繋いでいくためにも、耕作放棄地を漆林に替えていくというのは理に適っていると思うのです。
かくして私たちは、毎年数十本から数百本の漆の木を植えていくことにしました。地道に続けて数千本まで増やしたいと思っています。実は最近、平井さんのように自分で掻いた漆で漆器を作りたいという若い職人さんが増えています。彼らのためにも私たちがたくさん木を植えて、将来の担い手がきちんと育っていく環境を整えなくてはなりません。
2024年の秋からは、「めぶく」という3つ重ねのお弁当箱をブランド展開していて、その売り上げの一部をウルシの苗の購入や植栽地の管理費に充てています。この弁当箱は、漆林を守り育てる仲間の証。なぜ弁当箱なのかというと、気持ちの良い季節にみんなで集まって、ここで豚汁なんかを作って食べたいなと思っているから。15年という長い時間を、人と人との関係性の物語として紡いでいきたいのです。
このお弁当箱には底の部分にウルシの種を埋め込んでいます。漆器は直しながら使っていけるものですが、いつかその命を仕舞うときがきます。そのときにはぜひ、土に還していただきたいのです。モノで溢れる現代だからこそ、新しい物を生み出すこと以上に、物の終わりに思いを寄せることが大切だと考え、この器を作りました。
縄文の漆製品を私たちが発掘したように、数千年後にいつか誰かがこの弁当箱を見つける日が来るかもしれません。もしそのときに漆器の文化が失われていたとしても、また復活させてくれたりして・・・そんなロマンを思い描いたりもしています。
私たちはこの場所を、漆の楽園にしたいと思っています。木を増やしていくことをベースに、人との交流が生まれて、担い手も育つ。猪苗代に来れば、素材があって仕事もあって、使い手もいる。そういう場所にできれば、きっと漆器の世界にとっても希望の光になるのではないでしょうか。
貨幣でなく、労働をシェアして循環させる。そんな仕組みがあるといい(中田)
漆器の良さはいろいろありますが、一つには食べ物の温度を保ちながら、触れたときに熱を感じにくいことですね。器を手に持ったり、口をつけて汁物を飲んだりする日本独特の食文化の中でこそ、その役割を実感することができます。しかし、作るのに非常に手間暇がかかるため、価格は高くなります。
化繊の服やプラスチック製品が増えたように、便利さや安さを求める人が多いのは事実ですし、それ自体は良いことでも悪いことでもないと思います。その選択は、今生きている人たちの暮らし方や生き方そのものだからです。
でも僕は、世界が均質化したらつまらないと思っています。旅をしているとその地域で長く使われてきた様々な器に出会います。仮にその器がどこに行っても同じようなものだったら、料理も似たものに感じてしまうでしょう。
昔から受け継がれてきた文化には意味があります。その意味や役割を知り、実際に使ってみることで、良いものは良いのだと気づくのです。
貝沼さんたちも、漆を育てるだけでなく、ストーリー性やコミュニティづくりを大切にされています。私たちは貨幣経済の中で生きていますが、最近の世界情勢を見ていると、そこに疑問を感じることがあります。お金じゃないものを交換し合っていた時代に戻ってみることも必要なんじゃないかと。お互いに与えあったり、譲り合ったり、困っている時に助け合ったり。つながりを感じるだけで満たされることもあります。
特に農村は人手が足りません。漆を植える人、育てる人、掻く人、買う人という役割分担だけではなく、みんなで助け合いを循環させ、労働をシェアしながら、必要なものを受け取っていくという仕組みがつくれたら面白いですね。
◎猪苗代漆林計画(いなわしろ うるしりん けいかく)
事務局:福島県会津若松市本町5-49 (漆とロック株式会社内)
E-mail:inawashiro.urushi@gmail.com
https://inawashiro-urushi.jp/
【連載】中田英寿のクラフト生産者を巡る旅
中田英寿(なかた・ひでとし)
1977年生まれ。山梨県甲府市出身。元サッカー日本代表。引退後、2009年より16年以上にわたり全国47都道府県を旅し、2015年に日本の文化や伝統産業に革新をもたらし、未来へつなげるために「JAPAN CRAFT SAKE COMPANY」を設立。日本酒を始めとし、日本茶や工芸など日本文化の市場拡大に貢献するほか、地域の知られざる魅力を丁寧に伝えるウェブマガジン「NIHONMONO(にほんもの)」やポッドキャスト「NIHONMONO ~中田英寿 『にほん』の『ほんもの』を巡る旅〜」などで、日本文化を国内外に発信する活動を続ける。
関連リンク