生命保持に不可欠、だから自然なものを「海塩」
[東京]未来に届けたい日本の食材 #55
2025.09.19

変わりゆく時代の中で、変わることなく次世代へ伝えたい日本の食材があります。手間を惜しまず、実直に向き合う生産者の手から生まれた個性豊かな食材を、学校法人 服部学園 服部栄養専門学校理事長・校長、服部幸應さんが案内します。
連載:未来に届けたい日本の食材
1971年、日本伝統の塩田が全廃され、塩化ナトリウム99%以上の高純度塩しか選べない時代が30年以上続きました。しかし、そのなかにあって塩田の全廃を機に日本の伝統的な自然海塩を求め、草の根的に運動を展開したグループがありました。
活動の流れの中で1976年には伊豆大島に製塩試験所が開設され、その成果として、「海の精」が誕生します。伊豆大島に寺田牧人社長を訪ねます。
濃い海水を作るための
自然の乾燥機
あの柱ばかりの建物が「流化式塩田」です。ドイツで発明され日本では明治期に設置が試みられましたが、実用化され本格的に稼働したのは第二次世界大戦後のこと。
海水から塩を得るには、海水中の約97%の水分を除く必要があります。汲み上げた海水をここで、太陽と風の力で乾燥させながら濃縮していきます。濃縮された海水が鹹水(かんすい)です。鹹水は、この後、二種の製法に分けられ、「あらしお」「ほししお」になります。
「釜炊き」して出来るのが「海の精・あらしお」です。塩田で濃縮した鹹水を一昼夜、約24時間かけて蒸気の力で煮詰めます。海水には多様な成分、ミネラルが含まれており、蒸発により濃度が濃くなると、それらが結合し化合物になって結晶してきます。始めにカルシウム類、そして海水中で最大量を占める塩化ナトリウム、さらにマグネシウム類やカリウム類などが出てきます。
どの濃度から炊き始め、どの濃度で止めるかなどは、長年の研究の末に到達したもの。その成果がおいしい塩となって現れます。脱汁器(遠心分離器)で、主成分が塩化マグネシウムである液体の「ニガリ」を適度に残すように搾り、出来上がった塩は、吸湿するので空気に触れないよう、できるだけ速やかに袋詰めし、なるべく平らに置きます。平らに置くのはニガリが袋の下側に溜まってしまうのを避けるためです。
「海の精・ほししお」は、温室に置かれたチタン製の結晶箱に鹹水を張り、100%太陽の力だけで天日干しされた、日本で最初と言われる稀少な塩です。





海の精の歴史は、塩運動の歴史そのものです。運動の当初は、伝統海塩の復活を求めて署名を集め、国に請願しましたが認められなかったことから、やむなく高純度の輸入塩(塩化ナトリウム)に、やはり輸入された高純度のニガリ(塩化マグネシウム)を加えて炊き直した塩を作り広めました。しかし、日本の海水のみを原料した伝統海塩の復活を諦めきれず、伊豆大島に製塩試験所を開設し「試験研究」の許可を得て試験製造を始めました。やがて、会員制度という特殊な条件のもとで、自主流通の道が開かれました。「海の精」の誕生です。
塩運動は昔ながらの塩を求めていた方々、多くの料理人からもいち早く支持を受け、気づけばユーザー数は、のべ数万人以上に。運動はその後も続き、1997年、塩専売法が廃止され、国産塩の製造販売が自由化されると、さらにユーザーは増えました。また、専売法の時代から、塩作りを学びたいという人には積極的に門戸を開き、多くの人を受け入れる活動も続けてきた。そうした人々が、専売廃止、自由化を前後し日本各地で塩作りを始められました。塩は命の源とも言われます。ぜひ、ご自分で確かめて納得したものを選んでください。




◎海の精
東京都大島町野増字上山764-28
☎03-3227-5601
uminosei.com
(雑誌『料理通信』2017年1月号掲載)
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