82歳。「師であるご住職さまと過ごした日々は、私の宝です」
生涯現役|東京・武蔵小金井「三光院」西井香春
2026.06.01
text by Michiko Watanabe / photographs by Masashi Mitsui
連載:生涯現役シリーズ
世間では定年と言われる年齢をゆうに過ぎても元気に仕事を続けている食のプロたちを、全国に追うシリーズ「生涯現役」。超高齢社会を豊かに生きるためのヒントを探ります。
西井香春(にしい・こうしゅん)
御歳82歳 1944年( 昭和19年)5月16日生まれ
16歳で渡仏。長じてから、ル・コルドン・ブルーとエコール・ルノートルでフランス料理と製菓を学ぶ。40歳で帰国後、六本木でフランス家庭料理教室を主宰。テレビや雑誌などで活躍。著書も多数。その後、1993年、日本文化の粋というべき竹之御所流精進料理を極めるべく、東京・武蔵小金井にある臨済宗の尼寺、「三光院」の住職、星野香栄禅尼に師事。現在はその後継者として、竹之御所流精進料理を提供している。その貴重な味を求めて、全国のみならず、世界からもゲストが訪れる。
(写真)ナスを揚げる西井香春さん。「おナスの良さというのは、この瑠璃色なんです。この色を大切にしてください」。切ったヘタも揚げておいしくいただく。穏やかでユーモアを湛えた軽快なトークで、周囲は常に笑いが絶えない。
「日本文化を学ぶ」問題
ここ三光院は、京都・曇華院に600年以上前から伝わる「竹之御所流精進料理」を受け継ぐ尼寺です。竹之御所というのは曇華院の別称。皇室ゆかりの尼門跡寺院で、代々皇女さまや公家のご息女が住職を務めてこられたお寺です。それゆえ、竹之御所流精進料理は、男性の修行僧の手になる精進料理とはまったく趣を異にします。
簡単にいえば、宮中の雅と禅の心が一体になった、シンプルで美しく、たおやかで繊細な料理です。この竹之御所流は、幼い頃から曇華院で育ち、のちに三光院の初代ご住職となられた先々代の米田祖栄禅尼、さらには先代の星野香栄禅尼によって受け継がれているもの。現在は私が後継者となり、今、その料理がいただけるのはここだけです。
そもそも、私みたいな門外漢がなぜ尼寺に?と思われるでしょ。14歳で母を亡くし、その悲しみから逃れるために、高校に入ったばかりの16歳で、いとこ(女優の岸惠子さん)の住むパリに単身渡ったんです。いとこの家は毎日大勢の来客がありました。なにしろ、結婚相手のイヴ・シャンピさんは世界的な映画監督でありプロデューサー、また外科医でもあった。当時の文化人がいろんな国から訪れるような家でした。ゲストをもてなすために専属の腕のいい料理人さんもいました。私は興味津々で厨房に入り浸り、フランス家庭料理を随分覚えました。
私のまわりにも人が集まってはくるんだけど、それは私がかわいいからじゃなくて、日本の話を聞きたいからなんです。ところが、いろいろ聞かれてもほとんど答えられない。最初のうちは、それこそかわいさでごまかすこともできたけど、大人になるにつれ、だんだんそうもいかなくなってきた。日本を知る、日本文化を学ぶ。これは私にとって大きな課題になりました。
1964年の東京オリンピックのあたりから、かなり渡航が楽になってきたので4年ぶりに帰国。以来、日本とパリを往き来するように。日本はフランス料理やイタリア料理が珍しい時代。そのうち、教えてほしいという人も現れ、知っている範囲のお料理をお教えするようになりました。ただ、それはあくまで余技。40歳になったら日本に落ち着いて、本格的にお教えしたいと思い、38歳のときにル・コルドン・ブルーとルノートルで2年間きちんと学びました。帰国後、六本木でフランス料理教室を開くんですけど、時はバブル。ついてるなというか、地球は私のために回っているのかと思いました(笑)
少し落ち着いた頃、懸案の「日本文化を学ぶ」問題にとりかかることに。お教室にいらっしゃる編集者の方や物知りの方に聞いて回りました。日本のことをてっとり早く学ぶにはどうしたらいいか。まずは、日本を代表する皇室だろう。でも、皇室には入れない。ならば神社、それともお寺? お寺は料理とも縁が深い。ならばお寺なのか。そんなとき、ついに私の人生を変える師とお目にかかることになるのです。
「夜来の雨(やらいのあめ)」
それは一冊の本との出合いからでした。1982年に発刊された『Good Food from a Japanese Temple』というタイトルの本なのですが、私が出合った時点ですでに十何刷り。そのお料理が素晴らしかった。それで、お食事に伺ったら、10人以上のお客さまがいらしたんだけど、ご住職がおひとりで対応してらした。そのときにびっくりしたのが、お料理を一度に運ぶのによくワゴンを使うでしょ。ご住職はきちんと間違いなく運びたいから、なんと手術用のワゴンを用意されていて、それでわーっと運ぶの。熱いものは熱いうちに、というその一心なんですよ。なんて素敵な人だと思いました。
そして、最後に出たものに唸りました。前日に雨が降っていたために、濡れ落ち葉がお庭に散らばっていたんだけど、それをお椀に見立ててたの。おいなりさんを蒸して、お椀に入れて、素麺を揚げて松葉にして(濡れ落ち葉として)添えてあった。そこに柚子の葉を絡ませて。庭の風情をお椀にうつしてあった。器もまた素晴らしかった。あとで聞いたら、人間国宝の方の器でした。そして、その料理名が「夜来の雨」。なんてすごい方なのか。私の先生はこの人しかいない、即、「生徒にさせてください」とお願いしました。
三光院に通うようになって、あるとき、私のフランス料理教室の生徒さんの富士吉田のお家に伺ったとき、水かけ菜という青菜に出合ったんです。冬だし、標高も高いはずなのに、青々としてみずみずしい。水温の高い富士山の伏流水のおかげで、厳しい冬場に露地栽培で作られていたんです。嬉しくなって大きなビニール袋いっぱいに収穫して、ご住職にお届けしたんです。そのことを心にとめてくださっていたんでしょうね。「あなたには1対1で教えたい」と。それからは、お料理教室の生徒さんたちが卒業するまで数年間、六本木から通いました。
精進料理を学ぶようになった年の5月、私の誕生日が近づいたとき、ご住職が「あなたのお誕生日は曇華院でお祝いしましょう」とおっしゃるんです。その前日が表千家の宗匠のお誕生日で、各門跡寺院がお誕生日をお祝いするお茶会が開かれていたんです。そのしつらえがとんでもなくて、国宝級のお道具、お軸など、美術館でもなかなかお目にかかれないような名品が並んでいたのですが、それをそのまま翌日までおいていてくださったんです。そこで、ご門跡さまが私のためにお茶を点ててくださり、補佐をしてくださる一老さまとおもてなしをしてくださるという光栄。すごい世界に来た!!と実感し、この道に進みたいとさらに強く決意したんです。
フランス料理の最後の生徒さんの卒業を機に、お教室は閉め、やがて住み込みに。この師との日常が素晴らしかった。
毎朝3時に、いい香りがしてくる。ご住職がお香を焚くんです。それで、もっとお香のことを知りたいと言ったら、「じゃあ、お香やさんに連れてってあげましょう」と、お寺に出入りのお香やさんへ。そしたら、そのお香やさんが「何を言ってるんですか。お香を聞くなら、お寺さんでしょう」と。で、わかったんです。毎朝、きかせていただいていたのは伽羅。金の10倍も高いといわれる希少な香木だったんです。
何年かののち、京都の曇華院である侯爵さまのご葬儀がありました。あなたもご挨拶に一緒に連れて行ってあげましょうとご住職。そして、渡された小さな袋にお香が入っていた。門跡はそれぞれのお寺で寺宝とされているお香を、お香やさんに削ってもらって持っていくんです。それをそれぞれがくべるわけ。そう、お焼香というのは、そういうことなんです。私は袋の中から一番小さなのを探して(笑)、それでお焼香させていただきました。これも貴重な体験でした。
ともかく、師であるご住職さまと過ごした日々は私の宝です。
50歳で通い始め、やがて住み込み、54歳のときに竹之御所流精進料理の後継者として香春という名をいただき、西井香春となりました。
実は座禅ができなくて、参禅修行ができないため、ご住職が修業した平林寺(埼玉県)に足を運び、平林寺第23世に自分の現状、心境をお伝えすると、「修行は座禅だけではない。掃除や料理など修行僧の仕事をすればいい」とおっしゃっていただき、出家はしていますが、住職の資格をとってないんです。え、肩書き? そうね、料理人かしら(笑)。
これからも、受け継いだ竹之御所流精進料理を大切に守り継承し、禅の心をひとりでも多くの方にお伝えしていきたいと思います。
毎朝、目覚めはネコちゃん次第(笑)。ここに来るのはだいたい5時。それから、朝のお勤めが終わったあと、7時30分頃に朝食。8時にはみなさんいらっしゃるので、食事をお出しする準備を。12時からお客さまにお食事をお出しして、3時ちょっと前に賄いをいただいて、夕食はとれればとるし、お昼が遅いと、もういいかなってときもある。自分のために何かを作るってことはしないんです。
体のために? そんなこと考えたこともないわよ(笑)。幸せよね。健康優良児です(笑)。
毎日続けているもの
「精進料理」
◎尼寺・三光院
東京都小金井市本町3-1-36
☎︎0423811116
JR武蔵小金井駅より徒歩15分
http://sankouin.com/
■ご意見・情報はメールで(info@r-tsushin.com)
(料理通信)
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