スペイン食材×懐石料理 今注目のバルセロナ期待の新星
Spain [Barcelona]
2025.05.29

text by Yuki Kobayashi
「Sushi de cangrejo」。カニの食べ比べは、スペインでは初体験の人が多いはず。ベースにすし飯、その上にセントージャ(カニ)のオイル漬け、ワタリガニのウィスキー沖漬けを並べ、上には自家製ライム胡椒、マンダリンフラワー、ウズラの卵黄、カニ味噌ソースという複雑さ。カニの旨味と味の多様性で唸らせる一品。
この数年、首都マドリードもバルセロナでも、日本食の高級店の開店が目立つ。日本の割烹さながらのカウンター、下駄の響くような空間で職人の所作も演出のうち。客単価が100ユーロを超えることも珍しくない。少ない客席で料理人の仕事を間近に見ながら食べる特別感もあり、こうしたスタイルがスペインの富裕層に受けているのは事実だ。
食に常に新しさを求める人が多いバルセロナで、2024年7月に開店したばかりの「エスカパール(SCAPAR)」が、グルメの間で話題だ。
率いるのは、桑原孝一シェフ。「エル・ブジ(El bulli)」の料理長を務めた後に、同じくバルセロナの「ドスパリージョス(Dos Palillos)」を成功させたアルベルト・ラウリッチのもとで7年の経験を積んだ。同店のレシピ開発や、ミシュランの星をキープした影の功労者でもある。その桑原氏が、ついに自ら指揮を取る側になった。

桑原氏は自らのスタイルを“Alta cocina creativa japonesa”と表現する。日本食にインスピレーションを得た創作かつ高級料理。懐石を意識しつつもスペインの素材に、日本の技術やコンセプトを合わせる形だ。
バルセロナの客はシェフの創造性を評価すると桑原氏は言う。例えば、宮崎の冷や汁をヒントに、スミイカの薄造りに冷や汁の材料をペーストにして添えライムキャビアと供したり、鰹節オイルで火入れした旬のアーティチョークをバジルのポン酢で食す一品、スペイン人の誰もが驚く「握らないすし」など。コースの最後は抹茶を点てて〆る。


現地では相変わらず“すし・てんぷら・ラーメン”のイメージがある日本食だが、同氏は懐石料理を意識しつつ、突出したアイデアで食通の舌を唸らせる。
自分の店を開く際は、誰もが不安に駆られるものだが、逆に「解放感があった」という桑原氏。自分を表現できる場でもあり、12席の客の反応はダイレクトにわかる。古巣では15人ほどの料理人がいたが、料理人2人で回すエスカパールでは隅々までコントロールが行き届くからだ。
旬に合わせて、開店からすでに20皿以上もメニューを変えてきた。コースメニューでは16品を提供。口コミで訪れる料理人の客も多いという。店名の「エスカパール」はスペイン語で“エスケープ”の意味だが、日常からの脱出、伝統や固定観念からの脱出、五感の解放という意味も含まれる。ブレイク間近な新店だ。


