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JOURNAL / 世界の食トレンド

パリの美食家が選び取るのは、日本人シェフによる正統派フランス料理店

France [Paris]

2026.02.12

パリの美食家が選び取るのは、日本人シェフによる正統派フランス料理店

text by Sakurako Uozumi
「仔牛内もも肉のロースト、アルマニャック風味の仔牛のソース、キノコ添え(Noix de veau rôti, jus à l’Armagnac, champignons)」。仔牛の中でも特に上質な赤身の内もも肉は、内部温度を見極めながら丁寧にローストし、柔らかさと張りを併せ持つ状態へと導く。アルマニャックが香る肉汁が、肉の甘味を引き立て、キノコの滋味が味わいに奥行きを与える。

近年のパリでは、かつての大衆食堂“ブイヨン”を現代的に再解釈した「予約不要・高回転・低価格」を掲げた店が、一つの潮流を形成している。一方で手間暇を要するソースの基礎に忠実な正統派フランス料理は、決して途切れることなく支持され続けている。SNSによって情報が過剰に拡散し、料理の表現が均質化しつつある現代においてこそ、フランス料理は、流行や視覚的な演出を忌避する経験豊かな食べ手たちによって、より厳しく選び取られていると言えるだろう。

16区の閑静な住宅街に2024年10月にオープンした「アルト(alt)」は、正統派の流れを象徴する1軒だ。掲げるテーマは“Voyage dans le temps(時の旅)”。懐古趣味ではなく、伝統的なフランス料理がもつ寛容さと誠実さを、現在形で捉え直す試みをしている。

オーナーシェフの青井和明氏は語る。
「特別なことはしていません。基本に忠実に火入れを行い、ソースを作る。それだけです」

シェフの青井和明
シェフの青井和明氏。1984年6月22日、愛知県生まれ。19歳で単身渡仏し、2005~07年パリ「タイユヴァン」にて修業を積む。2009~13年西アフリカ・ブルキナファソ、2013~15年オーストリア・ウィーンの日本大使公邸で料理長を務める。パリへ戻り2019~2022年、14区のクラシカルなビストロ「ラシェット」でシェフを務め、2024年10月現店オープン。ラシェット時代に、当時スーシェフを務めていたソウル出身のスンミさんと出会い結婚。彼女はニューヨークのCIAで5年間料理を学んだ後、シンガポールの「ジョエル・ロブション」にて5年間研鑽を積んだ。
鴨とフォワグラのパテ・アン・クルート、ラディッキオ添え
「鴨とフォワグラのパテ・アン・クルート、ラディッキオ添え(Pâté en croûte de canard et de foie gras、Radicchio Rosso tardive)」。鴨肉とフォワグラを詰めた、クラシックなパテ・アン・クルート。断面に表れる層の美しさが、火入れと構成の精度を雄弁に物語る。濃密でありながら重さはなく、旨味が端正な余韻として静かに続く。

料理はクラシックな構成を踏まえつつ、味わいは軽やかで明快。和食材を取り入れたり、新しさを装うことはない。技術と感覚の精度を磨き続けた先に、現在形のフランス料理が立ち現れている。

例えば「ポワロー・ヴィネグレット」は、ポワローの甘味を軸に、カニとそばの実を重ね、抑制の効いた構成で素材の力を引き出す。一方フォワグラのコンフィは、火入れと調味の精度がそのまま味の輪郭となり、記憶に残る1皿だ。

ポワローのヴィネグレット カニ、レモン、そばの実、かぶ
「ポワローのヴィネグレット カニ、レモン、そばの実、かぶ(Poireau vinaigrette, tourteaux au citron jaune, sarrasin, navet)」。甘味を引き出したポワローを軸に、カニの身の旨味とそばの実の香ばしさをレイヤー状に構成。レモンの酸味が味わいを引き締め、素材それぞれの個性を明確に際立たせている。
鴨のフォワグラの低温火入れ、カリフラワーのバニラ風味ピュレ ディルとセルフィーユ添え
「鴨のフォワグラの低温火入れ、カリフラワーのバニラ風味ピュレ ディルとセルフィーユ添え(Foie gras de canard au torchon, purée de chou-fleur à la vanille, aneth et cerfeuil)」。厚切りにした鴨のフォワグラを、伝統的な製法にならい低温で火入れすることで、旨味を最大限に引き出し、究極になめらかな口当たりに仕上げた。バニラをほのかに効かせたカリフラワーのピュレと香草が、味わいに奥行きを添える。

完全予約制で昼、夜それぞれ8席。料理人である妻スンミ氏がサービスとソムリエを兼ね、夫婦2人で切り盛りする体制は、規模を抑えることで料理に向き合う密度を高める選択でもある。

PRに頼らず、口コミから始まったこの店は、『フィガロ』『ル・モンド』『フーディング』といった、フランスの手厳しいメディアの料理欄で好評価を重ねてきた。流行に左右されず、削ぎ落とされた皿でこそ真価を見極める美食家たちに、その姿勢が正確に届いたのである。

店内の写真
白いクロスが掛けられたテーブルの上で、穏やかな時間が流れる。並ぶのは、開店前に青井シェフ自身が蚤の市を巡って集めたベルナルドのヴィンテージ皿や、同じくヴィンテージのクリストフルのカトラリー。時の流れから少し距離を置いたこの店独自の贅沢な空気感を象徴している。
お店の外観
店名の「alt」は、“Alternative(もう一つの選択肢)”の略。ゲストにとって、自宅や職場とは別の「もうひとつの大切な場所」でありたいという願いが、この3文字に込められている。「料理が主役にならなくてもいい。ご近所の方にとって地域で一番のレストランになれたら、それで十分です」と青井シェフ。

alt
25, rue le Sueur 75116
☎+33.(0)1.45.00.13.05
12:00~14:00最終入店、19:00~20:30LO
土曜昼、日曜休
要予約(電話予約のみ)
Instagramのアカウント:@restaurantalt.paris

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