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FEATURE / MOVEMENT

パティシエの“当たり前”が書き換わる。自家製粉で作るガレット・ブルトンヌ

[特集・後編]挽きたての小麦が拓く、菓子の新しい扉

2026.09.10

photographs by Sai Santo

果物や乳製品、華やかな副材料を扱う菓子の世界では、小麦は深く追う必要のない存在。ところが、産地や品種、土地の違いを追い続けるパン職人の姿を前に、あるパティシエに小麦への探究心が生まれました。
鍵を握ったのは、高性能な「自家用製粉機」の存在。“粉”は無味無臭でなく、挽き方・性質・ブレンドで菓子のテクスチャーや香りも変えうる_
前編で見たパン職人が菓子へ向かう動きの、ちょうど裏側で起きていた小さな変化を追ってみます。

目次







パティシエが手掛けた、自家製粉・農林61号のガレット・ブルトンヌ_「ぱんと菓子 いろり」

神奈川・北山田の「ぱんと菓子 いろり」は、店主の高崎真哉さんが焼くパンと、妻の紗綾さんがつくる菓子の店。
高崎真哉さんは、神奈川のベーカリーで経験を積んだのち、志賀勝栄氏のもとで修業し、北海道の「ブーランジェリー コロン」で製造責任者を務めたパン職人。一方の紗綾さんは、専門学校卒業後、札幌のフランス菓子店「Bon Vivant」で6年勤務。2020年に自身の菓子ブランド「綾路(あやみち)」を立ち上げた。

高崎真哉さんと紗綾さん

開業にあたり、真哉さんがこだわったのが小麦。「麦の特徴を生かしたパンを焼きたい」と、創業100年を超える食品加工機メーカー・國光社の御影石製の石臼製粉機を導入する。夫婦で名古屋の本社まで足を運び、現地で挽き具合を確かめて決めた。

挽く麦は2種類。群馬・ウエハラファームの農林61号と、北海道・中川農場の混播(こんぱ)小麦「愛の小麦」。製粉は週1〜2回、朝3時頃から一度に約4キロの玄麦を投入し、低速で挽き始める。挽き終わるまで6時間。「最小限の熱も加えたくないので、一番遅いスピードで挽いています」
ルヴァン種とバゲットに使う農林61号は、真哉さんが札幌勤務時代に「いつか本州で自分の店を持ったら必ず使おう」と決めていた、憧れの品種でもある。



[道具メモ]

創業100年以上の食品加工機メーカー、國光社の揺動型ふるい機付き電動石臼製粉機(「臼太郎 CX-360h」)。そば用の低速石臼技術をルーツに持つ。御影石製で、揺動型ふるい機と連動させて粉を自動でふるい分ける。三角の樹脂パーツが揺れに合わせてコロコロと転がりながら粉の塊を崩し、微粉だけを通しつつ粉を掃き落とす。

回転の速さを調節するインバーターと、玄麦が落ちてくるスピードを調節するダイヤルを備え、スピードが速いと粗く、遅いと細挽きに。粗挽きから微粉まで細やかに調整できるので、粉の粒度で味と食感を自在にデザインできる。

店名に「菓子」と「パン」が並ぶのは、互いの仕事へのリスペクトゆえ。小麦の探求に夢中になる真哉さんに対し、紗綾さんは当初「粉を使い分けて、そんなに味が変わるのか」と半信半疑だった。自身の菓子づくりでは江別製粉「ドルチェ」一本、副材料の多い製菓では小麦の品種や産地にこだわるパン職人の熱量がぴんとこなかった。

しかし、ともに産地を訪れ、製粉機を操り、資料を読み込み、「この菓子の食感にはこの粉が合う」と助言する夫を見るうちに、「小麦を変える」という発想が芽生えた。「これまでは何かあれば自分の技術に立ち返っていたが、初めて小麦を変えるという発想が生まれました」

ならば、と紗綾さんが取りかかったのが、「農林61号」100%で焼くガレット・ブルトンヌ。農林61号は真哉さんにとって小麦探求の出発点となった品種。ガレット・ブルトンヌは、紗綾さんが一番好きな焼き菓子だ。何軒も食べ歩き、すでに頭の中には理想の食感のイメージが描けていた。「しっかり焼きこんで、風味が強く、ガリッと噛めばポロポロと崩れる。それでいて、内層にほどよいしっとり感が残っていること」

「ブルトンヌ61」

粉は使う当日に、必要な量だけを低速で挽く。ふるうメッシュの番手は、30、40、50で試作。「50だと薄く、30だと濃すぎた」。農林61号は「野性的で力強い風味」。一方、ガレット・ブルトンヌはバターの濃厚な香りが主役の厚焼きサブレだ。個性の強い材料同士。「小麦が前に出すぎると、バターの香りが消える。かといって、農林61号の風味がなければ、この粉を使う意味がない」

仕上がったのは、複雑な香味と力強さのあるガレット・ブルトンヌ。農林61号はアミノ酸含有量が高く、焼成時に強い焼き色と香ばしさを生むメイラードが強く出るといわれる。しっかり焼きこむこの菓子に向いた小麦だったともいえた。パンと違い、発酵による膨らみや酸味や香りもないため、小麦は濃密に香る。噛むほどに小麦の旨みとバターのコクが折り重なる、そんな菓子が焼きあがった。


菓子設計の重心を変える、小型製粉機の可能性

パティシエが自家製粉で麦を探求する。
こうした動きを後押しするのが、卓上小型製粉機の普及だ。夫妻が導入した御影石臼タイプのほか、ドイツ圏で始まったホールフード運動の中で注目を集めたコランダム・セラミック石臼タイプが、ベーカリーに広まっている。自家製粉によるサワードウムーブメントや、ロックダウン下のベーキングブームも追い風となり、卓上製粉機は「究極のベイカーの道具」とも呼ばれるまでに至った。

高性能な小型製粉機の浸透は、菓子とパンの設計思想の重心を変える可能性をもつ。油脂や砂糖など副材料でリッチさを出す方向から、穀物の挽き方・性質・ブレンドでテクスチャーや香りを設計する方向へ。製粉の自由度が上がることで、アウトプットの選択肢は一挙に広がる。それは、麦を風味で語ることを意味し、パンと菓子、小麦の使い手の境界を溶かしていく動きでもある。

かつてフランスから帰国した菓子職人たちも、現地の焼き菓子やヴィエノワズリーの味わいを求めて仏産小麦を選び、ロースト小麦や中力粉、全粒粉を選んできた。菓子職人のフィールドでも、粉の探求は行われていたが、ハイスペックな道具の登場によってパティシエが原麦そのものに手をのばす、ドラスティックな変化も起きている。

“小さな”製粉ができること

いま小麦を自家製粉するベーカリーは各地に現れ、地元の農家と結び付いて“フレッシュミル”を実践する。栽培農家や品種の選定だけでなく、粗さや外皮や胚芽をどの程度入れ込むか、製粉には幾つもの表現があり、そこにクリエイションの芽が眠っている。

さらに、現代の自家製粉需要は小麦だけでない。あるメーカーのコランダム石臼は、エンドウ豆や大豆、ヒヨコ豆など、グルテンフリー対応への活用を謳う。小型でパワフルな卓上製粉機は、クロスコンタミネーションの可能性を排除しうる。食のバリアフリーが進むなか、自家製粉の技術は、多様な穀物を暮らしの中で生かすための道具へと、その役割を広げつつある。


穀物の価値を掘り起こす

2022年、フランスの「バゲットの職人技と文化」がユネスコの無形文化遺産に登録された。 申請を担ったフランス全国ブーランジェリー・パティスリー連盟(Confédération Nationale de la Boulangerie-Pâtisserie Française)は、 バゲット文化を支える存在として、穀物農家、貯蔵施設、そして製粉師の技術を挙げている。

製粉とは、単に粉を挽く技術ではない。穀物の命を読み解き、地域の食文化というバトンを未来へつなぐ実践である。それは、希少な在来種や古代種を育てる農家を守り、大地の多様性を育む行為。
栄養、風味、地域経済、伝統、そして無駄のない循環。
今日もどこかで回り続ける自家製粉の石臼は、多様で豊かな香りと共に、私たちに穀物の価値と可能性を問いかけている。


◎ぱんと菓子 いろり 
神奈川県横浜市都筑区北山田
☎045-620-5280
Instagram:@pankashi.irori

【自家製粉の菓子① パン職人が菓子を焼く理由。菓子に表情を刻む“フレッシュ・ミル”の小麦】

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