「母なる大地は、何ひとつ無駄にしないのよ」
【フィンランド紀行】北の暮らしの体現者、イレーネ・カンガスニエミ
2026.10.15
生まれはケミ。ヘルシンキの芸術デザイン大学(現・アアルト大学)で5〜6年間美術を学び、大学院で修士号を取得。長年、中学校や高校で美術の教師を務めたのち、夫とともに伝統工芸ブランド・工房「Hornwork(Koru-ja taidekäsityö A. Kangasniemi Ky)」を立ち上げ、ロヴァニエミで暮らす。
長らくヘルシンキの美術教師として勤めたのち、夫とともに北極圏に位置するラップランド・オウナス川沿いのサーレンキュラ地区で伝統工芸の工房を営むイレーネ・カンガスニエミさん。夏には森で何百キロものベリーを摘み、トナカイやムース(ヘラジカ)、魚の肉を加工して、冷蔵庫5台分に自家製の保存食を詰め込み、暗く長い冬に備えます。
「母なる大地は何ひとつ、無駄にはしないのよ」。あらゆる動植物と気候風土、先々まで見通す大自然の懐の深い考えに頷きながら、その恵みを余すことなく暮らしに使い切る。
北の暮らしの体現者です。
目次
ようこそ私たちのアトリエへ!この家は2001年に夫のアリが建てました。壁は北極圏のアカマツと断熱材にはリネンを使った3層構造。労働者たちが昔やっていたように 足場を組んで、夫はたった1日で外壁を完成させました。
みなさんが今どこにいるかお見せしましょう。ここロヴァニエミから北へ8〜9キロ行ったところが、北極圏線(北緯66度33分)です。アイスランド、グリーンランド、カナダ、アラスカ、そしてロシア。北極圏の表面積は2,000万平方キロメートルと広大ですが、住んでいるのはわずか400万人。世界人口の0.05%しかいないのですよ。ほんのわずかですね。
北の地に命をもたらしたトナカイ
ここラップランドには人間よりも多い約20万頭のトナカイがいます。すべてに所有者がいて、耳に印がついてるの。トナカイは昔から人々に肉(食料品)、皮(衣類・道具)、移動手段を与え、ラップランド人に命を支えてくれた、私たちにとって大変尊い存在です。
夜のない白夜の間は、ハーブや花など何でも非常に早く育ちます。 トナカイの角も同じで、1日に最大2センチも成長するんです。トナカイの角、触りましたか?成長中の角は血液の循環が活発でとても敏感。8月末になるとベルベット状態の被りを剥ぐために角を木にこすりつけるんですね。 そして産毛がすべて抜け落ちます。小さな動物たちは、それを喜んですぐに食べる。母なる大地はなにも無駄にはしません。
なぜ毛が減るのかというと、発情期(ハニームーン)が来るから。 雌のトナカイを集めようと戦うためです。 そして硬い角で戦い始めます。 1頭の雄は、およそ25頭の雌を従えます。ほんと、夫がそんなにモテるタイプじゃなくて良かったわ(笑)
10キロもの角を頭の上に載せる雄もいるんです。付け根の部分は「小さな王冠(coronet)」と呼ばれ、冬が来る前、発情期が終わると角のこの部分だけが再び柔らかくなり、自然に角が落ちるの。頭の上に重い角を置いたままでは、北極圏の厳しい冬を生き抜けないからです。一方、雌は冬の間ずっと角を維持します。引き続き、食べ物を巡って戦うためです。
冬の森でトナカイが得られる重要な食べ物はハナゴケ(lichen) 。トナカイの目はあまり良くありませんが、嗅覚が非常に鋭く、どんなに雪が深く積もっていても食べ物の匂いを嗅ぎつけます。ハナゴケは、ラップランドに公害がないことを示す非常に良い指標。空気が清らかだからこそ育ちます。
冬の毛から夏の毛へ、今はすごい勢いで毛が抜けているところなんです。夏の毛はとても短く、冬の毛はとても長い。
トナカイの毛が1平方センチメートルあたり何本あると思いますか?
正解は1,700本!両面で合わせると3,400本もあるんですよ。 顕微鏡で見ると、一本の毛の内部が空洞(エアポケット)になっていて、浮力があり沈みません。なんて環境に優しい浮き具なんでしょう。プラスチックなんて不要。彼らも泳ぎが上手なんですよ。
松、白樺のタール。トナカイ、魚の皮
夏になると、木造船に必要な木タールを作ります。 松や白樺などの木を蒸し焼きにして抽出するタールは、ソリやスキー板、靴下の防水や補強のために非常に重要でした。 シロップにしたり、お肉料理やパンケーキ、アイスクリームに加えたり、シャンプーなど様々な日用品にも使われます。
タールは何に効くのか?すべてに、ですよ! フィンランドでは「サウナ、ウォッカ、タール」の3つがあれば大丈夫と言われています。
これはタールから作った虫除け。夏になると蚊を嫌う人が多いですが、母なる自然に無駄はありません。 蚊がいるからこそ、南アフリカから1万キロも飛んでくる鳥たちが貴重なエサを得て、子育てができるのです。トナカイの親子が離れないように森の中でひとまとめにしておく役割も果たしているんです。
喉にもとってもよくて、「飲めば、アデルのように歌えるのよ(笑)」
ラップランドで育つ木々は非常にゆっくりと成長し、冬には「眠りにつく」(学術的には「休眠」)、ギリギリな環境を生き抜くために仮死状態になるんです。 夏は樹木の細胞が24時間太陽を追うように、ゆっくりと回転しながら成長します。そのため年輪は20年経っても淡く、顕微鏡が必要なくらい。夏の2カ月間しか育たないため、非常に密度が高く耐久性があります。
樹齢300年ほどの白樺のコブをくり抜いて造る伝統的な「ククサ(伝統的な木製カップ)」は個人用のカップですが、やはり何世紀も使い続けることができます。
角だけじゃなく、私たちはトナカイの革や、グリーンランド産のシール(アザラシ)の革も使ってバックパックなどを制作しています。魚の革(サーモンやパイク)も自分でなめして、ポーチや装飾品に仕立てるんですよ。
今でも冷凍庫にトナカイの脳を保管して、魚の肝油やオイルと一緒に煮込んだ特製のスープ(粥状の液体)にトナカイや魚の革を24時間浸して、柔らかい革を作っています。
トナカイの角は毎年DNAで決められた同じ形に育ちます。1000頭ものトナカイを見ていればわかりますよ。雄は全体の5%ほどしかいないの。秋になると、夫のアリはトナカイ同士が戦った場所を探します。特定のトナカイの角を希望したお客さまのために、同じ1頭のトナカイから5年間かけて集めた角でシャンデリアを作ったんですよ!
このトナカイの角の柄のナイフを作るのにどれくらい時間がかかるかって?ごめんなさい。私たちは決して時間を計らないの。かかるだけの時間がかかるのよ(It takes what it takes)。それが伝統技術です。
森は教会
私は森に一人でいるのが大好き。森は私のスーパーマーケットであり、心を整える「教会」のような場所でもあります。うちの足湯に使うハーブの一部を紹介しましょう。
シラカバは、フィンランドのサウナで枝葉を束ねた「ヴィヒタ」としても親しまれていて、足湯に入れると香りが立つの。カモミールは穏やかな香りを楽しむハーブで、ハーブティーのほか、肌をいたわりたいときにも使うのよ。
ジュニパーは針葉のついた枝や実に強い香りがあって、サウナや民間療法、料理にも幅広く使われてきました。私はサーモンの塩漬けの香りづけにも使うの。ヘザー(ギョリュウモドキ)は北方の荒地を彩る蜜源植物で、花からはとても香り高い蜂蜜が採れる。足湯では、気分を整えたいときに使います。
ベリーの楽園
さぁキッチンへどうぞ。暖炉とオーブンでは、白樺の薪を使ってじっくり料理を作ります。 毎年9月から5月終わりの8カ月の間、火を焚いて料理をします。肉なら200℃くらい、大麦を使った伝統的なラップランドのパンも焼きます。 冷凍庫5個分いっぱいに手作りの食材を詰めるの。 自分で料理ができるのでとても自立して生活できるんです。
シーズンになると、森から150キロものビルベリーを摘みます。このあたりは特にリンゴンベリー(コケモモ)が多く採れる地域なんです。7月半ばから摘みはじめ、気温がマイナス6℃になるまで摘み続けることができます。
蒸気で抽出して作ったビルベリーのジュースは味が本当に濃厚。 作り方は蒸気抽出器(スチーマー)に丸ごとのベリーをのせる。実は中まで真っ青。私のいとこは空軍で働いたあと、旅客機のパイロットをしているんですが、ビルベリーをたくさん食べます。 とっても目にいいですからね。
クラウドベリーはとても湿った場所に育ち、雲(クラウド)のような形をしているのでその名がつきました。 北極圏の夏、光合成が24時間無休で行われる間、 他の植物とエネルギーを競い合って育つため、とても風味が強くなります。
それから、クラウドベリーの花から作られたハチミツもありますよ。 夏の間にミツバチたちがラップランドの特別な環境下、あっという間に咲き誇る野生のベリーや野の花から集められるため、フルーティーな香りと、完熟した濃密な味わいです。
ここから10メートルほどの場所で摘んだリンゴンベリー。ジャムを作る時は、ペクチンが多く含まれている、少し青みが残った若い実を使うのがコツです。 このジャムは、トナカイの肉やヘラジカ(ムース)の肉料理と一緒に食べます。 一口目は甘く、後からキュッとした酸味が来るでしょう? これが肉料理によく合うの。
実に防腐作用があるから冷蔵庫のない時代は、水に浸して数カ月保存していました。
クマには特別な敬意を
トナカイは森の中で400種類以上の野草やハーブを食べて育つため、肉自体にかなりの香辛料・スパイスの風味が染み込んでいます。だからトナカイ肉を調理する時は、塩と少しのコショウだけで十分おいしい。
マッシュポテトにトナカイ肉の燻製やソテーをのせ、クランベリーのジャムを添えて食べるのが定番ですね。 また、トナカイの肉や魚を先にパン生地の中に包んで焼き上げた伝統料理もあります。
秋になるとキノコもたくさん摘みます。トナカイもキノコが大好き。クリーム和えのサラダにします。フィンランドからはイタリアや日本へもたくさんのキノコが輸出されていますよ。マツタケもとれるんですよ。
クマの肉は、 通常、秋に狩猟が行われ、数日間しっかりとマリネして使います。 クマ肉はとても味が強い。私が作るなら、クマ肉50%、トナカイ肉30%、豚肉20%の割合ね。
でも、実は私はあまりクマ肉の料理を作りたくないの。森でベリーを摘んでいる時、私はクマの姿が見えなくても、クマからは私が丸見えですからね。「イレーネが僕たちの従兄弟を食べたぞ、今度は僕たちがイレーネを食べよう」なんて言われたら困りますから!
さあ、お腹はいっぱい?最後は、温かく食べる最高においしいクリーミーチ―ズをお出ししましょう。チーズ1キロを作るためには牛乳約10リットルが必要です。森で働く木こりたちにとって、温かいチーズは貴重な栄養源でした。伝統的にはトナカイのミルクで作られますが、なにせほんの少ししか搾れませんからね。クラウドベリーやリンゴンベリーと合わせるたり、地元ではチーズを温かいコーヒーの中に入れて食べる習慣もあります。
ラップランド料理は、このようにとてもシンプル。自然の恵みをそのまま活かすのです。
薪窯のゆらめく炎は、私の「ラップランド風テレビ」。本物のテレビは好きじゃありません。 冬の夜、サウナのあと、この暖かい炉の前で生きた炎を眺めるのが何よりの癒やし。なんたってチャンネルは何百万もありますから。
さあ、家の前でみんなで記念撮影をしましょう。アリも一緒に!フィンランドでは写真を撮る時「チーズ」ではなく「ムイック(muikku・小魚のモトコクチマス)」と言いますよ!ムイック!
ハグをしましょう!キートス(Kiitos)!ありがとう。
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