殻を破った3人に続け!日本の飲食業界を刺激する「OSAKA FOOD LAB」の熱い1日
2025.12.25
【PROMOTION】
text by Noriko Horikoshi / photographs by Jun Kozai
2025年11月、大阪・梅田の“食の実験場”「OSAKA FOOD LAB」で、大阪を代表するトップシェフ2名と大阪のガストロノミーシーンに彗星のごとく現れた若手メキシコ人シェフによるトークセッションが開催されました。集まったのは飲食店ほか食関係者がメイン。「Break an egg」をテーマに、飲食業界の課題や日本の食をグローバルな視座で捉えるセッションを、これでもかと詰め込んだ濃厚な1日をお届けします。
目次
- ■日本の食をズームアウトして見ると。
- ■「世界が注目するレストランリストにOsakaの文字が躍り出る」高田シェフの挑戦
- ■「食産業に関わる人たちが幸せになれる構造とは」米田シェフの挑戦
- ■「日本とメキシコをむすぶ、世界と大阪の接点になる」ウィリーシェフの挑戦
- ■「大阪から」という強い連帯感が生まれる強み
日本の食をズームアウトして見ると。
食い倒れの街・大阪を舞台に、フードビジネスのスタートアップを支援する日本初のフードインキュベーターとして2018年に設立された「OSAKA FOOD LAB」(以下OFL)。拠点となる阪急電鉄高架下の空間には、年間を通じて国内外から食のクリエイターが集い、世界視点で食を考察し、理解を深めるためのイベントが数多く開催されてきた。
今回、3名のトップシェフと海外ジャーナリストを迎えて開催されたイベントのテーマは、“Break an egg”。フランス語の諺“On ne fait pas d’omelette sans casser des œuf”(卵を割らずにオムレツは作れない)になぞらえた示唆に富むタイトルからは、大阪が世界で食の聖地として存在感を高めていくために、「殻を破って一歩踏み出そう」と呼びかける主催者の強いメッセージが伝わってくる。
ゲストスピーカーのクロストークに先立つ開会セッションでは、OFLの企画運営を担う「Office musubi」の鈴木裕子氏、『料理通信』編集長の曽根清子の2名が登壇。“世界が注目する日本の食”について、マーケターとメディアの視点から、それぞれの問題提起を行った。
世界に拡散された日本の食が、独自に進化して価値を上げ、再び日本に戻ってくる。『料理通信』の海外トピックスから抽出された数々の事例を受けて、「では、日本はどうするのか?」と、鈴木氏は会場の参加者に問いかけた。多様な日本の食のプロモーションを手掛けた経験から、一つのヒントとして提示されたのが、全体を俯瞰して事象を捉える“ズームアウト”の重要性だ。
「日本人はズームインが得意。たとえば自治体がブランド肉の海外輸出を仕掛けるのに、いきなりブランド和牛の詳細から始めてしまいがち。けれど、実は”WAGYU”に対する誤解が多いことを理解し、その説明がまずなければ、相手が知りたい価値は伝わりません」と、鈴木氏。さらに、NYブルックリンの大型野外フードマーケット「スモーガスバーグ」を3年連続でOFLに招聘し、本場での出店枠を得るに至った経緯を振り返りながら、「失敗を恐れずに挑み、やり続け、経験を重ねることで道は拓ける」と鼓舞する場面も。
大阪が世界に誇るトップシェフたちは、どんな“やってみなはれ”精神を発動し、ズームアウトとズームインの視点を取り入れて現在地にたどり着いたのか。セッションのゆくえに期待が高まる。
「世界が注目するレストランリストにOsakaの文字が躍り出る」高田シェフの挑戦
トークセッションの口火をきったのは、2025年の「世界のベストレストラン50」で44位に選出されたイノベーティブフレンチ「La Cime(ラシーム)」の高田裕介シェフ。ベスト50入りは2022年以来2度目の快挙。いずれも、日本から選ばれた4店中、東京以外の都市で唯一ランクインを果たした功績でも話題を呼んだ。
さぞかし粉骨砕身の挑戦あっての成果かと思いきや、「料理や創作で悩んだことは一切ない」と言いきる高田シェフ。
「小さな頃から好きだった音楽やファッションや写真と同じものづくりの延長に、料理があるという感覚はずっと変わらない。店のオープン後4~5年は赤字続きだったり、思うようにいかないこともありましたが、不思議に“勝てる”確信しかなかったです。偉そうに聞こえるかもしれませんが(笑)」
ただし、伝統を重んじるフランス料理において古典の技法まで遡りつつ、しばしばフリースタイルと称される“ラシーム流”の表現を見出していくまでの道筋には、少なからず「葛藤の期間があった」と振り返る。2010年の独立開業の3年前、高田シェフはパリに渡り、三ツ星のホテルレストラン「ル・ムーリス」を筆頭とするグランメゾンでの修業を経験している。
「フォワグラは3分の2しか使わず、残りは全部捨ててしまう世界。日本に帰ったとき、これを自分でやれるか?と思ったら、『絶対に無理!』と気がついた。その無駄をどうなくしたらいいのか。そもそも三ツ星と同じプレゼンをすること、フレンチの食材にこだわることに意味はあるのか。真似をしたところで、完璧に再現することなどできないのに、と」
帰国して自分の店をもった後も違和感はくすぶり、遂には食材の9割を国産のものに変えようと決めた。開店から2年早々でミシュランの一ツ星を獲得し、上昇気流に乗ったところでの方向転換である。
「反発は予想以上に凄まじかったけれど、そこから自分の“型”ができていった実感がある。大きな転換点だったと思います」
一度は本場に触れ、高級フランス料理を俯瞰する“ズームアウト”と、そこで得た考察を大阪での自身の料理に生かすための“ズームイン”。2つの経過をたどったからこそ、探り当てられた鉱脈ではなかったか。
「食産業に関わる人たちが幸せになれる構造とは」米田シェフの挑戦
2008年に開業し、世界最速でミシュラン三ツ星を獲得。以来、止まらない進化と革新を続けるレストラン「HAJIME」のオーナーシェフ、米田肇氏の“挑戦”は、いまや料理の領域のみにとどまらない。トークタイムでは開口一番、通常のレストラン営業以外に「食を別々の分野と関連づけ、より有効な産業化につなげるための活動を続けている」と、その壮大なビジョンが明かされた。具体的には「AI」「予防医学」と食のリンク、2年前に外食産業70団体で結成された「日本飲食団体連合会」(以下、食団連)での取り組みだという。
「特に食文化の未来を見据える上で、待ったなしの課題となるのが人材教育」と力をこめる米田シェフ。
「今の飲食業界が抱える難しさは、“脱・長時間労働”の環境下で料理人を育てなければならないこと。本来、体に覚えさせないと身につかない技術と経験を、制限時間の枠内でどう教えていくのか。AIで効率化すればいいという意見もありますが、ただ情報を受け取るためだけの導入では、主体的な考えや創造性が阻害されることになりやすい。合理化は常に人間を劣化させることを肝に銘じた上で、主体性が育つ労働環境に注意が払われるべきです」
8時間の制限に縛られず、「もっと仕事をしたい、スキルアップしたい」と願う人材層も確実に存在する。そうした“職人枠”と時間内で働きたい“勤め人枠”双方の要望に応えつつ、長時間労働組に対しては政府主導でメンタルケアのチェック機能をもたせるなど、両輪でのシステムづくりが望ましいとするのが米田シェフの提案だ。
いずれも労働に見合う給与をもらえることが大前提となるが、悲しいかな、「世界一レベルが高いのに、世界一賃金が安い」のが日本の飲食業の実情でもある。
「準備や掃除など、よい店ほど大事にしている営業以外の部分が、マネタイズされていない現実があります。消費者のことを考えすぎて、店の営業が頑張りや辛抱の上に成り立っている。昭和の高度成長期時代から引き継がれたネガティブな連鎖を、なんとか自分たちの代で断ち切らないと」
頑張っている人、食産業にかかわる人たちの努力が報われ、幸せになれる循環をつくっていけるように。「社会全体に働きかける活動を、これからも続けたい」と力強く締めくくった。
「日本とメキシコをむすぶ、世界と大阪の接点になる」ウィリーシェフの挑戦
セッションの第二部には、メキシコ出身のシェフ、ウィリー・モンロイ氏がステージに登場。来日して13年。大阪・堀江に開業した「Milpa」が、2024年秋の開業からわずか1年で『ミシュランガイド京都・大阪2025』の一ツ星を獲得。日本ではまだなじみが薄いメキシコ料理を、あえて日本の食材を使ったガストロノミーで表現する斬新なスタイルが評判を呼び、勢いに乗る。
前年までは、同じ場所でカジュアルなメキシカンダイナー「サボテン」を営んでいたウィリーシェフ。店にちょくちょく訪れる大阪の有名シェフとの交流を通して、「日本で誰もやっていないメキシコ料理のファインダイニングの可能性に気がついた」と話す。転換の大きなきっかけになったのは、2023年春の京都にオープンした期間限定ポップアップレストラン「noma Kyoto」のキッチンメンバーとして働いた経験だった。「どうしても働きたい」と募集のないところに猛アプローチをかけ、やっと勝ち取ったポジションである。
「インスタグラムにも送っていた、大量の料理の写真とコメントに目を留めていただいて。レネシェフはメキシコ料理の大ファンだと後から知りました(笑)。ファインダイニング構想について話したときも『ウィリーなら絶対できるよ』と背中を押してくれて、自信になったし、めちゃくちゃモチベーションが上がりました」
“日本の食材を使ったメキシコ料理”のコンセプトは、メキシコにしかない食材を代用する創意工夫が起点になったという。たとえば、伝統的なモレ・ベルデ(緑色のソース)に欠かせないハーブの“オハサンタ”。
「シソをトーストすると、ほぼ同じ香りが出ます。大阪在住のメキシコ人に『どうやって、この味を出したの⁉』と驚かれるくらい(笑)」と、にっこり。
本物のメキシカンでありながら、日本の食材を勉強して、大阪でしか体験できない料理に仕立てる“ウィリー流”。その自由な創造性に共鳴してか、スタッフの顔ぶれは日本、メキシコ、デンマーク、オーストラリア出身と国際色豊か。キッチンには日本語とスペイン語と英語が飛び交い、「noma」と同様のフリーダムな活気に満ちている。ウィリーシェフが海外に飛んで腕を振るう機会も多く、最近も故郷のメキシコでポップアップディナーを開催したばかり。
「『Milpa』の料理を伝えるというよりは、日本とメキシコの接点になりたい気持ちが強くあります。今後は海外のシェフを店に招いてコラボする機会も広げていきたい」と、新しい挑戦に心を躍らせる。
「大阪から」という強い連帯感が生まれる強み
イベントを総括したのは、3人のシェフによるセッション。米田シェフが示した「飲食業界が抱える課題」のテーマをさらに掘り下げ、世界に向けて大阪ひいては日本の“食”を盛り上げていくために乗り越えるべき壁と打開策を巡って、三者三様の白熱トークが場を盛り上げた。
いずれもミシュランの星をもつ気鋭の3シェフが、冒頭から揃って口にしたのは、「大阪で店を続けるのは簡単でない」という切実な実感だった。
「大阪の商圏は東京の10分の1。東京と同価格で大阪で勝負しようと思っても人が入らない。『もっとサービスしてくれへんの?』という特有の感覚もある。そこが大阪の難しさであり、素晴らしさ」と米田シェフ。
食における大阪府成長戦略アンバサダーを務める高田シェフは、「うちは毎日満席ですけど」と返して会場を沸かせながらも、「食の都といわれて実力のあるシェフも多いのに、同じ関西でも京都ほど注目されていない現実」を認める。
さらにウィリーシェフの場合は、外国人として店をもつハードルの高さも。
「大阪の人は舌が肥えているし、値段の感覚もシビア。認知度の低いメキシコ料理を高い値段で食べてもらう難しさを考えると、一ツ星をもらった今でも『まだ足りない。もっとクオリティを上げないと』と毎日考えます」
にもかかわらず、大阪に拠点を置き続けることに一切の迷いがない点も、三者共通だ。
「noma Kyoto」との縁から一時は京都での出店も検討したものの、あえて大阪に戻って店をもつ選択をしたウィリーシェフは、「京都のほうが外国人が多いし、実際にやりやすいのかもしれない。けれど、やっぱり自分は大阪が大好きだから、大阪から盛り上げていきたい」と頼もしい。
「場所にかかわらず、チャレンジと経験に学ぶことで価値は確実に上げていくことができる」と話すのは、自身は奄美大島出身の高田シェフ。およそ30年に及ぶ大阪での料理人経験を通して、「続けていくことに意味がある」確信を深めているという。
「失敗はめちゃくちゃありますよ。けれど、失敗からしか学ぶことはできない。それは東京にいようが、ニューヨークで店を開こうが同じこと」と持論を展開する。
とはいえ、これだけ世界につながる実力派のシェフが揃い、海外からラブコールがかかる現状にあって、府政のバックアップや情報発信の取り組みが十分になされているといえるだろうか。米田シェフは「全然足りていない」と手厳しい。
「東京で地方企業の本社誘致が進みすぎたために、大阪のビジネス街が空洞化し、食のインフラでも後れをとってしまった。これからは、人を呼ぶ街づくりの取り組みの中に、今以上に食の発信を取り入れていくべき。行政とタッグを組めば、大阪の食は爆発的なモードをつくれると信じています」
最後は決起集会のような熱が会場を満たし、4時間にわたるトークセッションの幕が閉じた。
◎OSAKA FOOD LAB
https://www.osakafoodlab.com/
【食でチャレンジしたいと考える人へ】
OSAKA FOOD LABは、プロ仕様のキッチン設備付き空間を活用して、アイデアや思いをカタチにする”食の実験場”。イベントを実現するまでの“わからない”をサポートする「チャレンジラボ」プログラムも用意しています。