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PEOPLE / 料理人・パン職人・菓子職人

そのショコラは、誰かの人生でできている。

ピエール マルコリーニ

2026.02.26

「そもそも皆さんは、カカオの“適正価格”をどう捉えているのでしょうか」
2026年1月、東京・外苑前で開かれた会見。来日したベルギーのショコラティエ・ピエール マルコリーニの声のトーンが変わった。記者からのカカオの価格高騰の質問がきっかけだ。
1995年創業。チョコレートを工業的な大量生産から、産地やテロワールを映し出す、職人的なアプローチに押し上げたパイオニアだ。「生産地を訪問することは、チョコレート作りのインスピレーションそのもの」。産地へのまなざしは年を追うごとに熱を帯びる。ツリートゥバー、ビーントゥバーの参入が増えるなか、いまその目にカカオの世界はどう映っているのか。本人に聞いた。

目次







テロワールの本質

ピエール マルコリーニは、毎年2〜3回日本を訪れる。2026年は日本上陸25周年の節目。日本酒、海苔、スダチ、ユズ、ほうじ茶、きな粉・・・カカオと同じ熱量で、日本のテロワールを探る旅を行い、日本らしい繊細で美しい味わいの新作プラリーヌ(ボンボン)を発表した。

福井の黒龍酒造では、朝10時から日本酒の試飲を始める。「早朝のクリアな舌で味わう日本酒。人生で初めての体験でした」。鹿児島の熊田製茶では、有機栽培の茶葉を焙煎して生まれるほうじ茶の香ばしい香りと清涼感に惹かれ、佐賀では有明海の6メートルの干満差が独特の海苔の塩味を決めることを知った。徳島のスダチ農家では、標高350メートルの山中で、一日のうちに何度も表情を変える山の気温と、急斜面に吹く風と雨に格闘しながら働く人々の姿に胸を打たれた。

年間雨量が多く、玉が大きく育つ高知県北川村のユズ。「油分や香りがたっぷり含まれ、ピールの香りが非常に良い」とマルコリーニ。

「自然への敬意を持ちながら、高い品質を追求する」。そうした生産者の姿に、自らの職人としての仕事を重ねる。カカオを通じて培った精神、テロワールの本質は土地そのものだけではなく、そこに生きる人にある。日本を巡る旅では、そんな確信を強めていった。

日本の素材を使ったショコラアソート「コフレ アニヴェルセール ヴァンサンカン ジャポン」より。「余韻(Velours Kinako)」は北海道の大豆を焙煎したきな粉と、シチリア・ブロンテ産ピスタチオの組み合わせ。
大阪のきな粉の焙煎所。「職人の手で丁寧に焙煎されたきな粉からは、コーヒーやビスケットを思わせる温かな香ばしさが感じられます」
「涼風の記憶(Fraîcheur Ancestrale)」は、サントメ・プリンシペ産のミルクチョコレートで、徳島のスダチと和歌山のミカンのガナッシュを包んだ一粒。
カシューナッツと高知産ユズを合わせた「冬霞(Brume d'Hiver)」。魚の燻製と同じ原理で、ナッツの油分に燻製の香りをまとわせている。仄かな塩味や燻製などの料理的なアプローチは、ショコラの起源に立ち返るヨーロッパの全体的な動きだという。
「焙煎の静寂(Sérénité Torréfiée)」鹿児島のほうじ茶ガナッシュと燻製カシューナッツプラリネをビターチョコレートでコーティング。

熊田製茶の茶畑にて。数ある日本茶の中からほうじ茶を選んだ理由は、「焙煎された香りに、食欲をそそる魅力がある。まるでブリオッシュのような、パンを口に入れたときの感覚がありました」
パッケージには福井の越前和紙を使用。「この和紙の感触は、まるで森の木肌に触れているよう。私はよく森を歩いて木に触れるのですが、森の木の高貴な雰囲気をパッケージに表現しました」

焙煎は、“香りのレバー”

カカオの風味は、何で決まるか。マルコリーニは「土地が60%、熟成が20%、焙煎が20%」と整理してきた。カカオは生まれた土地でほぼ決まるが、あとの発酵・熟成と焙煎で味が完成される。チョコレートに自然に現れる果実の香りや花の香り、草の香りがどうやって得られるのか。農園を訪れなければ、カカオの風味を理解するのは難しい。そのために何度も産地に足を運んできた。

なかでも香りが本格的に立ち上がる決定的なステージが発酵だ。木箱に入れたカカオ豆は、周囲を覆う糖分を多く含んだ粘液(ムシラージュ)が微生物の餌となり、目に見えない反応を始める。脂肪分を豊富に含むカカオ豆は、潰すと35〜40%がカカオバターだとわかる。「脂肪は香りの成分を吸収する性質があります。この芳香を抱き込む力が、発酵の過程で大きな役割を果たすのです」

発酵の多くは木箱やバナナの葉で覆われて行われる。写真は並外れた生物多様性をもつ、ウガンダとルワンダの国境付近に位置するコンゴ・ヴィルンガ国立公園の北部。地元の農家の手作業でつくられるトリニタリオのカカオ。

発酵で生まれた香りを解き放ち、産地ごとの個性を輪郭づけるのが焙煎だ。「栽培から発酵までが“素材のポテンシャル”だとしたら、焙煎は“そのポテンシャルをどこまで見せるかを決めるレバー”です」。わずかな温度や時間のずれが、最終的な味を変えてしまう繊細な工程。

ブリュッセルのアトリエには、焙煎機の隣に殻を飛ばしてニブを取り出すウィノワーが置かれ、グラインダー、リファイナー、コンチェ、テンパリングマシンが並ぶ。ブランドが扱うカカオ豆は、自家製クーベルチュールへと姿を変えるまで、80人規模の専門職人チームとマルコリーニ自身が関わる体制で行われる。この集約化は創業以来一貫している。

繊細なクリオロ系は、焙煎温度を100〜120℃と低めに抑えて25〜30分、状況によっては45分までじっくり火を入れる。「ペルー産などにみられるこの品種は、そのまま食べても十分な甘さと柔らかさがあり、砂糖を足しすぎずとも、滑らかな口当たりと丸みのある味わいが出せる」。一方で、フォラステロは強さと深みが持ち味だ。今季コレクションに加わったコンゴ産カカオは、より高温・長時間の焙煎で、その力強さを前面に押し出す。「これらはまったく異なる二つの世界」とマルコリーニは表現する。

サントメ・プリンシペのフォラステロ系のアメロナド種。8,000以上の中小規模農家と7つのオーガニック認証コミュニティの間でつくられている。

同じ産地の豆でも、年ごとに変わるのが湿度だ。例えば2023年と2024年に届いた同一産地のクリオロを比べて、後者は含水率が4%低かったとする。「前年と同じ時間で焙煎すると、水分が少ないぶん香りが早くピークを迎え、あっという間に焦げてしまう」。だからこそ、現在使用する100キロの焙煎機では、炎とガスを熱源に、0.1℃単位で温度を追い込む。「コーヒーや日本のほうじ茶の焙煎と同じで、毎回が“初対面”なんです」


バーでは“中立な味”を守る

小規模の参入が増えたビーントゥバーの世界では、リファイニング(微細化)とコンチング(精錬)の方法も多様化している。石臼にカカオニブと砂糖を入れて回し続け、リファイニングとコンチングを一度に済ませるやり方もある。焙煎された豆と砂糖をすり合わせると、60〜70℃ほどでキャラメル香が発生するため、この方法ではどの産地のカカオを使っても、キャラメル香が前に出てしまう。「コストは抑えられますが、味が画一的になる。私たちは採用しません」

工房では、カカオを5本の大きなシリンダーに通す。最初は広い隙間を段階的に狭め、粒子を細かく砕きながら締めていく。ここで保つ温度は34〜35℃、キャラメル香は出ない。その後、複数のブレードを備えたコンチェで練り上げ、不要な水分や酸味を飛ばす。「タブレットチョコレートは、本来“中立的な味”であるべきだと思っています」

コンチングの時間をどこで止めるかも、職人の個性が表れる部分だ。短すぎれば口当たりが荒く、青臭さや尖った酸味が残る。長すぎれば、滑らかにはなるが香気成分まで蒸発し、苦味と渋味だけが残る。「あと5分」「もう10分」その判断を支えるのは、理屈でも数字でもない、彼自身の舌の記憶だ。30年以上に及ぶ試作と失敗の蓄積。
「正直なところ、今ではかなり上達しています。これは私の得意分野ですから(笑)」


カカオを守る。水の問題

テロワールごとの表現を追求するなか、カカオ全体の品質維持にも力を入れている。カカオは他家受粉しやすく、さらに「人工交配を重ねたハイブリッド種が増えるなかで、在来のネイティブカカオをどう守るかは喫緊の問題です」。さらに、気候変動によって、そもそも必要な量のカカオが手に入るのか、先行きは見通せない。

今、マルコリーニが取り組もうとしているのが灌漑の問題だ。カカオのライフサイクル全体を見渡したとき、もっとも多くのエネルギーを消費しているのは輸送や加工ではなく、70%以上が栽培段階だといわれる。大量の水を必要とするカカオの木を、どうすれば無駄なく潤わせられるのか。ベルギーの大学と組み、最小限の水で適切に灌漑する方法と、その効果の測定方法を検討している。「プランテーションは資金が限られている。だからその前段の研究開発を、私たちが担いたい」と話す。

目指すのは、品種や香りそのものを変えることなく、古いカカオの木や伝統的な品種を、より効率よく、長く育てていくための環境を整えることだ。カカオの木を守ることは、その土地で生きる家族の暮らしを守ることにも直結している。


買い叩いてきたツケ

冒頭の会見で、マルコリーニは記者にこう問いかけた。「10年前、カカオは1トン2,500ドルでした。今は6,000ドル前後です。しかし本当に重要なのは、2,500ドルで生産者が生活できていたのかどうかです」。市場価格が上がっても、その恩恵が農家に届いていない現実を、彼は何度も目にしてきた。

ニューヨークやロンドンの取引所価格の半分しか、実際の生産者に渡らないケースは珍しくない。家族を養い、子どもの教育費を賄い、農園に必要な投資を続けるには、少なくとも3,500〜4,000ドルは必要だという。「もしここにいる日本の生産者の皆さんに、コストの30〜40%しか支払わないと言ったら、すぐに辞めてしまうでしょう」。カカオの栽培は植生の構造上、非常に困難な手作業が多く、機械は使えない。ロバの背にカカオを積み、急斜面を往復するような重労働に対して、あまりに不均衡な報酬。それが長年続いてきた。

「今の価格高騰は、“買い叩いてきたツケ”が一気に表面化しただけです」。
マルコリーニは自ら契約農園に対しては、国際市場のおよそ2倍にあたる1トン4,000ユーロ前後を支払う仕組みを整えてきた。価格は問題のほんの端緒に過ぎない。いまそこを取り上げるならば、その背景に長年潜んできた根深い構造的格差をこそ、世界に対してはっきりと問題提起すべきではないか。そんな強い憤りが込められているようだった。

カカオ豆は現在10以上の農園から調達されている。農園の児童労働の禁止、発がん性の高いグリホサートの不使用、遺伝子組み換えカカオや超高収量カカオの樹(CCN-51)のカカオ豆の不使用、の3つの倫理基準を尊重することを誓約している。

二極化する未来で

企業やショコラティエがビーントゥバーに参入し始めている変化を、マルコリーニはむしろ歓迎している。「これまではガナッシュやフィリングの違いだけが差別化の手段でした。でも、豆の選定から自分のレシピを重ねていけば、味にもっと深い個性が生まれる」。豆を理解する側が増えるほど、農園もまた評価されるポイントを多く持てるようになる。

量だけを求めて「ブラジル産なら何でもいい」とバルク(大量ロット)で買うのではなく、「この農園の、この品種には、その価値に見合う対価を払う」と言う人が増えたとき、産地の状況は変わる。「何世代にも渡って木を守ってきたプランターたちが、『やっと、やっと自分たちの仕事が正当に評価された』と喜ぶ姿を見られるのは本当に素晴らしいことです。私は今の新しい世代のショコラティエたちがまさにその道を切り開いていると思っています」。量より質に価値を見いだすビーントゥバーの潮流は、今後、生産者の側に立つ新しい価格のものさしを示していくだろうと強く期待している。

将来、チョコレートは「合成チョコレート」と「高品質チョコレート」の二極化が進むだろう、とマルコリーニは予測する。それは産業の構造変化であると同時に、価値観の分岐でもある。

そのうえで、彼が望むのは、ショコラを中身のガナッシュやカカオの割合だけで語るのでなく、食べ手たちがカカオ本来の味わいに目を凝らし、ショコラティエたちの表現の違いについてワインのように語り出すことだ。「あぁ、ピエールのアメロナドの扱い方、発想、表現が好きだ」と。
いくつもの行程を経てチョコレートという表現に到達して初めて映し出される、作り手たちの個性の違いに光があたってほしいと願う。

自らに課す使命は変わらない。「特別なカカオとチョコレートを知ってもらい、ゆっくり味わう時間を届けること」。「本を読みながらショコラをひと粒口に入れ、その味わいとともに旅をするような、そんな時間を楽しんでほしい」というシンプルなものだ。
そのためには、カカオが持ちうる香りと味わいのすべてを、情熱を持って伝え続けること。一粒のショコラの背後にある農園の景色や家族の暮らし、生産者の手仕事を伝え続けること。

2026年2月。マルコリーニからのバレンタインのテーマは「Merci de tout Cœur(心からありがとう)」。 綴られたメッセージには、彼が貫いてきた考え方を象徴しているようだった。

「自己愛は、あらゆる愛の中で最も美しい愛かもしれません。それは、私たちがより自由に他人を愛することを可能にする愛です」___ピエール マルコリーニ

年間約100日に及ぶ産地訪問を続けてきたショコラティエの視線は、ブランド誕生30周年を経ても、今も変わらず農園で働く人々の顔と、ショコラを口にする人のひとときを見つめている。
一粒のショコラは、誰かの人生でできている。


◎pierremarcolini
https://pierremarcolini.jp/

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